淡々と生きる。
そういう生き方があると教わった。
ぼくは人間性というものをある元教師に教わった。
数年お世話になった。
ぼくだけでなく、うちの実家全体に影響を与えた人です。
亡くなりましたが、今尚、ぼくがつい話してしまいます。
男性であって、家事に打ち込み、生活弱者を援助すると言う。
この方のおかげで、ぼくは多くの生きると言うことを教わり、
育ての親と言うべき人でした。
どこかずるい。商売人でしたし、詳細は絶対に明かさない。
でも、なんかすごいというか、ぱっと見て、「まさとしくん。これはいけない。」
たった一言。
それはすごく腹が立つ指摘なんです。
すぐに帰ってしまう。
くそ。
またか。あのくそじじい。
そのときはそう考えます。
おれなんか、おれなんか。
なにもしない。なにもできない。
そう自分を責めます。
ただ生きろ。
それ以外の指摘が無いのです。
それから、必死こいて、ネットとか本を買って、勉強しまくります。
自分を変えたい。このじじいをぶっつぶす。
そう願ったのです。(俺の不良性を知り、たたき出し、俺の借金しまくりを多めに見て、自己破産をサポートしてくれた。)
だらしないのは良くない。
でも。先生も最後はぼろぼろになるまで商売に走り。他界。
最後の最後で燃え尽きました。
痛い教訓を残して。
仕事中毒が悪い。年を考えない。
確かにそう感じる。
だけど。
日本人男子らしい。
慕う人の数が普通じゃなかった。
で、短時間だけ助けるだけでなく、体を張って、見本となってくれた。
俺が、これだけの根気をもてるのはこの先生の模範が大きい。
あの先生のどうしようもなく、悩んできた顔を俺は忘れることができない。
「自己破産して、生活保護に入れ。もう、社会に迷惑をかけるな。」
先生は人脈があった。だから、当時、ハードルの高い生活保護を受けるのに骨折りがあった。
情けないな。
純然たる感謝は、亡くなった後に出る。
当然のもの?
違う。
俺が多分、2004年当時、自分で入れてくださいと言ってもだめだったと思う。
今また、厳しい時代になったらしい。ネットでのニュースではそんな印象がある。
この立場を抜けたい。もがく。
商売は甘くない。実際、同じように奮戦している方がいる。
激戦。
そんな感じだ。
その中で、今何をするか。金儲けか。
それはそれなのだが、今尚、痛い教訓を使い、自分の力を自分で引き出し(家事とか散歩は先生もやっていたのだ))
闘病なさっていた。俺も同じです。
ぱっと見元気に見える。俺も。
なぜそんなに重なるのか。
続けると自分の粗が出ます。先生も最後の最後はずたずたとなり、気が狂ったような発言が多かった。
亡くなった後で気づくが、大きな商売を試み、その後、入院。それから死去。
最後は、ぼくの弟が仕事の帰り、面会するとか(俺は自分のことで精一杯でした)
!と先生の苦しみが体に出ることがあり、(シンクロしていた)
苦痛ともがきの時期は大抵、なんか誰かのもがくものとシンクロする。
このことは何故か、何かの起業とか奮戦中の社長さんとかって、同じ体験をする。(本で体験談とかで読んだ))
これは。
そう感じた。
収益こそ0円飛行だ。だが、同じ体験を何度か通過している。
その都度、余計な考えを落とすための酷いうつを通過する。今もだ。
時代の変化と今まで、戦った戦士なる人の死とは重なるものらしい。
企業戦士をもじり、起業戦士と表現するならば、そんな戦士社長とか戦士オーナーは多いだろう。
休む。休めるけど、休みは休みで、刺激が来る。それに何をするのか。
時代は個人の力と時代の変化で試練の年らしい。
去年が時代変遷の基礎なら、今年は成長のための試練が降りかかる。
来年はその収穫らしいが。
今年の過ごし方で、来年の収穫が変わるとの感じ。
なんのために自己表現を自分に求め、ネットで晒し生きるのか。
毎日、自問がある。
そういう生き方があると教わった。
ぼくは人間性というものをある元教師に教わった。
数年お世話になった。
ぼくだけでなく、うちの実家全体に影響を与えた人です。
亡くなりましたが、今尚、ぼくがつい話してしまいます。
男性であって、家事に打ち込み、生活弱者を援助すると言う。
この方のおかげで、ぼくは多くの生きると言うことを教わり、
育ての親と言うべき人でした。
どこかずるい。商売人でしたし、詳細は絶対に明かさない。
でも、なんかすごいというか、ぱっと見て、「まさとしくん。これはいけない。」
たった一言。
それはすごく腹が立つ指摘なんです。
すぐに帰ってしまう。
くそ。
またか。あのくそじじい。
そのときはそう考えます。
おれなんか、おれなんか。
なにもしない。なにもできない。
そう自分を責めます。
ただ生きろ。
それ以外の指摘が無いのです。
それから、必死こいて、ネットとか本を買って、勉強しまくります。
自分を変えたい。このじじいをぶっつぶす。
そう願ったのです。(俺の不良性を知り、たたき出し、俺の借金しまくりを多めに見て、自己破産をサポートしてくれた。)
だらしないのは良くない。
でも。先生も最後はぼろぼろになるまで商売に走り。他界。
最後の最後で燃え尽きました。
痛い教訓を残して。
仕事中毒が悪い。年を考えない。
確かにそう感じる。
だけど。
日本人男子らしい。
慕う人の数が普通じゃなかった。
で、短時間だけ助けるだけでなく、体を張って、見本となってくれた。
俺が、これだけの根気をもてるのはこの先生の模範が大きい。
あの先生のどうしようもなく、悩んできた顔を俺は忘れることができない。
「自己破産して、生活保護に入れ。もう、社会に迷惑をかけるな。」
先生は人脈があった。だから、当時、ハードルの高い生活保護を受けるのに骨折りがあった。
情けないな。
純然たる感謝は、亡くなった後に出る。
当然のもの?
違う。
俺が多分、2004年当時、自分で入れてくださいと言ってもだめだったと思う。
今また、厳しい時代になったらしい。ネットでのニュースではそんな印象がある。
この立場を抜けたい。もがく。
商売は甘くない。実際、同じように奮戦している方がいる。
激戦。
そんな感じだ。
その中で、今何をするか。金儲けか。
それはそれなのだが、今尚、痛い教訓を使い、自分の力を自分で引き出し(家事とか散歩は先生もやっていたのだ))
闘病なさっていた。俺も同じです。
ぱっと見元気に見える。俺も。
なぜそんなに重なるのか。
続けると自分の粗が出ます。先生も最後の最後はずたずたとなり、気が狂ったような発言が多かった。
亡くなった後で気づくが、大きな商売を試み、その後、入院。それから死去。
最後は、ぼくの弟が仕事の帰り、面会するとか(俺は自分のことで精一杯でした)
!と先生の苦しみが体に出ることがあり、(シンクロしていた)
苦痛ともがきの時期は大抵、なんか誰かのもがくものとシンクロする。
このことは何故か、何かの起業とか奮戦中の社長さんとかって、同じ体験をする。(本で体験談とかで読んだ))
これは。
そう感じた。
収益こそ0円飛行だ。だが、同じ体験を何度か通過している。
その都度、余計な考えを落とすための酷いうつを通過する。今もだ。
時代の変化と今まで、戦った戦士なる人の死とは重なるものらしい。
企業戦士をもじり、起業戦士と表現するならば、そんな戦士社長とか戦士オーナーは多いだろう。
休む。休めるけど、休みは休みで、刺激が来る。それに何をするのか。
時代は個人の力と時代の変化で試練の年らしい。
去年が時代変遷の基礎なら、今年は成長のための試練が降りかかる。
来年はその収穫らしいが。
今年の過ごし方で、来年の収穫が変わるとの感じ。
なんのために自己表現を自分に求め、ネットで晒し生きるのか。
毎日、自問がある。