★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年1月30日日曜日

再成屋 通信7          ( 癒しの情報の検証 )

 1990年代から台頭してきたキーワードの癒し。

あなたは実際にその癒しを得ているだろうか?

また、温泉や特定の食べ物、特定のクリニックは癒しに利いたのだろうか?

癒しの情報は選択肢であり、また、利いても一定期間であると私は感じる。

ある時にアダルトチルドレンという単語を知り、その種のことに詳しいクリニックに繋がり、

実質は生育環境と教育関係者によるトラウマのPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったが、

主治医の指導に沿い、その悪環境とよく似た精神科デイケアに週2日通ったが、

安全な場が売りのそのクリニックのデイケア内で犯罪が起き始め、

かえって、精神科デイケア内でPTSDの傷を深める結果になり、ついで、主治医の投薬ミスで、

パーキンソン症状になり、薬害のトラウマまで抱えてしまった。

1ヶ月の通院拒否(当然だ、治療環境でトラウマを起こされたのだから)

そのパーキンソン症状のため家事が著しく出来なくなり、

栄養不良で大きな神経科に入院。 そこでは病院内の虐待事件に間接的に接し、

病院へ通えばPTSDは治る神話は崩壊。

ケースワーカーや回復の本である「今日1日のアファメーション -自分を愛する365日ー」

の教えをこの大きな神経科で最大限使い、その結果、一時的に医療関係者と仲良くなり、事実上、

ケースワーカーの補助を大きな神経科のデイケアでし、この神経科の内情が悪くなり、治療に最悪になると

、自分の安全の感覚を頼りに転院、近所の小さな心療内科に変わった。

時代と共に心の病の治療も変化し、薬メインではなく、作業療法や、患者自身が病気の仕組みを学ぶスタイルになっている。(皮肉だが、一番最初にかかった精神科の方法に近い)

この一番最初の主治医は うつは個人の考えの病気であり、この考えを治せば治ると断言した。

このクリニックの掛かり始めに聞いた、強力な打撃である。 今は「はい、そうですね」

と言えるけど、

私は検証期間が必要だった。約12年も。

私の人生が波乱万丈で、仕事上の理由(出稼ぎで仕事へ行く、県外へ行き、仕事)、安定しない

生活自体が普通じゃなかったので(一般は一定に居住し、大体安定した職場に行き、安定した財源を確保した生活をしている =>あるケースワーカーから解釈した一般人の生活像)

その生き方自体、嘘のワクワクであり、心身に毎日打撃を加える生き方だった。 考えようによっては

、自分でトラウマを得る選択をし、生活全体で自分を虐待する生き方になる。これにあの個人の感情をを悪魔とするあのアホ宗教の活動があった。

その禍根が今は怪しい人を特定するフィルターに使えるが、そこまでは涙ぐましい自己受容のみ。

自分が生き方で自分を壊す習慣を持っていたと自覚したのは、大きな神経科を退院して、本格的にリハビリに入った2008年の6月だろう。 ブロガーとして生きて6ヶ月目くらいの頃。

ブロガー自体は稼ぎにならないし、記事の更新は何かワクワクする。そう、自営に練習になると気づき、同時に自分の力を解放しない生き方にこそ問題があると感じ、自己洞察を深め始める。

そして、心理カウンセラーのアホさ加減に気づき(もう、不況で仕事なんて派遣だけなのに就職をテンプレ道理に勧めたアホ)

この治療関係者のアホ指導(一部の方と書いておく)、

かえって、自立の道を探したくなり、変な反動で知人の反対を押し切って、作業所に行ってしまう。

まあ、もっと、いろんな変な感じの奴がいたので当惑したけど、最低レベルだけ行き、ブロガーとしての生き方を固定し、補足的にいろんなボランティアを日常でしていた。(空き缶広いとか、作業所の
PCを無償で磨くとか)

生活保護を使っていても、生きる目的があると、生活スタイルが一変する。そう、自分のためにお金を使い、自分のために起業しようとして、環境を使う選択ができるようになった^^¥

生き方を自分で気づき、行き方を自分のために生きる生き方に変えていかないと、自閉症を含む、うつや様々な症状は薬でヘッコンでも出てくる。根本の体質や、それを支える生き方の思想を、

自分で自分を愛する見方にチェンジしないと、根治に向かわないのだ。その過程が大変苦しいので

薬に依存してリハビリを投げたり、対人関係を一方的に放棄したり(よくやったし、今もあるような・・)

生きていて安全であるとの保障を自分で自分の人生に生み出し、その上で仕事の人脈を広げないと、

選択の悪さで、PTSDを作ってしまう。この世界全体が明らかに何らかのトラウマを抱え、無意識に

人をコントロールして相手の感情を押さえ込んだり、傷つけるのだから、生き方で対抗しないと勝てないのだ。

自分の惨めにしてしまう思想を変え、それを最悪と感じる環境で構築し、私は軽くなったのだ。

すべて、癒しの情報を体験で検証し、体感した。

あなたはどうしたいのでしょうか?

バイトという名のサブエンジン

 先ほど、バイトとの集金が完了した。少し色を付けてくれたのか、俺の配った枚数を数え間違えたのか、自分の計算よりも多かった^^\

 昔読んだ話か、何なのかははっきりしないがある起業家の話だったような気がするが、そいつも大変な中で起業するときに本業が動く前に(準備中だったような・・・)、本業と関係の無いバイトをしていた

気がする。恐らく知人が仕事をくれたのだろうが、起業家には必ず援軍が付く。俺もこれで実家とかつての職場の上司が援軍になった。また、バイトを頼むと言って帰っていった・・・

どういうわけか、本業にすべくプログラムは一時停止中だ。このブログもアフィリエイトのコーナーがあるので営業を兼ねたブログとアフィリエイトで再成屋の先行的なバイトと位置づけることができる。

何分、起業家は皆に道を教える仕事でもあるので、自分のしたことを書いて、ヒントを同じ立場の男女に私は伝えていく。 起業とは業務を起こすことなので、大変な力が要る。0から始めて、それを100にも10000にもする。

要は自分のやる気であり、どんな経済状態でも自分で動く勇気が資格なのだ^^¥ まるでアドルだ。

自らを助く者は天が助く

この言葉は信憑性がある。受験もそうだったし、先回も先々回の起業も何からの応援者が現れたか、見つけることが出来た^^¥

仕事が無いからという動機は、自営業には向かない。自営は自分で仕事を生み出す生き方。

自分はこの技術を誰よりも速く、正確にできると、だからお金が欲しいと言うことができないといけないし、しっかりと請求書を相手に渡せないといけない。

この自分の体験に裏付けられた自信と、更に極めるとの研究者の気骨が無いと、後で追ってくる同業者(市場参入の企業)に足を取られるだろう。

心身の鍛錬は経営者の肝だ。また、家事を一通りできることも無駄を省く練習になるし、それをベースにお客様のニーズを探すことも大事だ。人は人だし、基本的なニーズは同じだから。

収益を得てもそれを浪費する癖は、金儲けの敵になる。貯金して、さらに会社の発展にうまく投資
(自社への投資)して、効率や社員がいるなら社員の教育にまわし、新しい技術を学ぶために社長自ら勉強のための使うのが賢明だ。

ニュースでは困っている人のことを報道するし、私も無視はしていない。今のところ、コンビニの寄付箱にお金を入れるのが精一杯だ。

いつの時代も起業家が事業を起こすことで大きな変化を地域や日本に起こしてきた。俺もあなたもできることから、この10年先のために動くことが出来る。自分の才能を探り、開発し、それをまず

自分のために使い(喜びの源かどうか知るために)、それをお客に分かち、感情的な喜びという利益を分かち合い、共に経済面で発展し、この世界に新しい産業を興し、自分の開発した製品で、快適な生活を(心の面で)を取り戻し、自分の使命を生きるようにするのさ。