★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年1月8日日曜日

よろしくメカドック 「CR-Xスクランブル」 Part 2




振り返ると、

集英社の漫画とアニメで育ったと自己を理解する。

ただそれだけだ。


それを自分で纏め上げ、自己の再構築に、今、挑む。


愛しています

ごめんなさい

ありがとう

許してください

 Ceeport

| いちご100% | OP |



1本OVAのDVDを持っています。

コミックスは近所の中古の書店で一気に大人買い。

店員がびっくりしていました。つーかするだろ、いいおじさんがいちご100%大人買い。

その決意と信念はいい感情を取り戻すのに役立ちました。


恋愛感情の感性を忘れていましたが、いちご100%を全部読んで、学生時代の恋愛の感性が戻った感じがします。


ありがとうございます。

バクマン2 OP [Dream of Life]



2期目おめでとうございます。

自分はブログでしか活躍できませんが、応援をしていますので宜しく。

実行可能か?セルフメディアミックス

うまく行くかわからない。

自分で漫画を描けないか?

もしくはそれに近いものを。

つまりだ、文章をメインにしつつ、バクマンのあるキャラを借りてキャラクターを描いて見た。

男性キャラ(まあ、俺だ)はオリジナルになった。(模写すると自分の癖で原型が変形する)

女性キャラがある女性キャラをそのまま模倣するようになった。

こういうのはどうなんだろう?作者に手紙で承諾を得た方がいいのだろうか?

著作権云々とか・・・どこがボーダーでどこがグレーゾーン?


 なんとなく、昔からロケットが好きで、あとスペースシャトルも。よく模写ばかりしていた。

 だからコツを数回やって覚えて、いちご100%やバクマンを少し模写してみた。

 最初は怖い。でもできると意外にすっとできる。その感性があるような。


 あくまで話として出す。集英社とかバクマンの作者とかいちご100%の作者とはこのブログサイトは無縁です。

 でも、ファンなので応援はしていると書きます。

 俺は敵を作りたくない。今の時代で活躍する作家の連中と無意識な連携をしたいんだ。

 インスピレーションでコンビネーション。

 無承諾だけど、ああみたいな仲間の感じの感性の交換。

 そんな感触を感じてしまう。鳥肌。

 どこかの出版社に持っていくのがセオリーなのは知っています。

 入院中にコネができそうになったことがある。でも消えた。

 
 ボーと忘れていたけど、俺、オーナー兼社長兼クリエイター兼作家でした。

 之を書くまで自覚が吹っ飛んでた。


 普通にマックで注文してもバイトの女の子が恐縮。ああ、俺の顔が怖いのかなと思っていた。

 ちがう。普通にオーナーのオーラ出してた。 もう防げない。

 無防備にしていると出てしまう。緊張しても。素でオーナーになっていた。

 わからないのは多分、実家だけだ。

不思議ちゃん1000 10 肉屋で逆ナンパされそうになる

9より時間を少しさかのぼる

ああ、今日も恐怖の肉売りバイトか。あの大きなデパート内での肉の専門店。

何で採用しちゃうのかな?この肉屋の面接の人。

そう感じながら朝の仕事の後、よく寝て、あくびしながら肉屋へ。

毎度、緊張。だってさあ、お客を前に売り子だぞ。それが下手だったので、面前売りに。レジは逃げた。

ある程度なれたこと・・・

 「クリスマスの飾りつけ、いっしょにやらない」

 とメガネの少し太った娘が言ってきた。俺は心中怖いし、女性慣れしていなかった。

 またある事情でクリスマスはキャンセルだったので、

 「ごめん。できない」

 と逃げた。

 その娘は気丈な娘で、ふられたのに森の熊さん♪を歌いながら耐えた。

 このバイトを止めた後で、何回も出てくる回想だ。

 あの時でなければ、俺はOkしただろうに。

 そんな残念なバイトで逆ナンパされた体験だった。

 ごめんなさい。メガネのきさくな娘よ。

不思議ちゃん1000% 9 燃え尽きるほどに仕事馬鹿

1998年。

親に反抗して、家から飛び出し(その後、容認され、承認の流れになる)

朝は宅配便の仕分け、週に2日の昼間に肉屋さんで緊張しながら面前で肉を売り、

足りない分は無理に父に頭を下げ、週二日、建築修理+ いえないボランティア?(ようは宗教活動だ)

そのすべてが、神に祈っても聞かれないと感じつつ、神に頼る日々。

今でこそ、信仰 = 誰かに吹き込まれた傲慢でハチャメチャな人格らしき存在への 依存心 

     と捉えているが。

ユダヤ人の神の名を借り、絶対に守れない道徳の規制。それを意識して仕事?ふざけるなと。


 雅人は、実家で再び厄介になり、ひとり暮らしのアパートを留守にして、ぼーーと感じていた。

そして、もう駄目だなと感じる以外人生が無くなってしまった。

確信したのは 神と言う存在がいないということだ。 また、今まで体が持ったのも”信仰”ではなく、鍛え上げれた信念

だ。 父はよく信念を持って商売をすると俺に言っていた。 宗教を主にするとおかしな気持ちになる。

嫌いでもバイトや父の仕事の手伝いは続けると手ごたえがあった。一方、宗教の”仕事”は腑抜けた気持ちになる。

仕事はやってのけると少なくともバイト仲間のおばさん方や、父のお客のご主人や奥さんに認められた。

宗教では、その活動を続けても信者自信が人生を放棄している人ばかり(一部、誠実に商売をやり宗教を二の次の人もいた)


 燃え尽きるほどに仕事馬鹿。 俺の28歳のときの自分を今、表現するとこうなる。

 だが、どんな仕事でも嫌な仕事でも、きつい仕事でも淡々と苦しみを感じながら通過した実績はでかい。

 あの不毛でわけのわからない活動で家を訪問し(何が”キリスト”にならうだ。大本の現役キリスト教もやっていない)


 あの活動に献じたお金を返して欲しいものだ。 依存症でひきこもりばかり狙うのが手口。もう団体名は出さない。

 そういう人を神に選らばれた? ちがう、世間知らずで騙しやすいのだ。



 そんな回想をしながら、俺は徐々に現実の世界へと視野を向けなおしていた。突然の衝撃。

「社長になる。好きなことで」

と閃いたのも同じようなすごくうつでしんどくて、自分の人生を知りたいと感じたときだ。

神の答えではない。

自分の中の何かが言ったのだ。


 また、この体験もやがて大きな収穫のトリガーとなっていく。