★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年1月8日日曜日

不思議ちゃん1000% 9 燃え尽きるほどに仕事馬鹿

1998年。

親に反抗して、家から飛び出し(その後、容認され、承認の流れになる)

朝は宅配便の仕分け、週に2日の昼間に肉屋さんで緊張しながら面前で肉を売り、

足りない分は無理に父に頭を下げ、週二日、建築修理+ いえないボランティア?(ようは宗教活動だ)

そのすべてが、神に祈っても聞かれないと感じつつ、神に頼る日々。

今でこそ、信仰 = 誰かに吹き込まれた傲慢でハチャメチャな人格らしき存在への 依存心 

     と捉えているが。

ユダヤ人の神の名を借り、絶対に守れない道徳の規制。それを意識して仕事?ふざけるなと。


 雅人は、実家で再び厄介になり、ひとり暮らしのアパートを留守にして、ぼーーと感じていた。

そして、もう駄目だなと感じる以外人生が無くなってしまった。

確信したのは 神と言う存在がいないということだ。 また、今まで体が持ったのも”信仰”ではなく、鍛え上げれた信念

だ。 父はよく信念を持って商売をすると俺に言っていた。 宗教を主にするとおかしな気持ちになる。

嫌いでもバイトや父の仕事の手伝いは続けると手ごたえがあった。一方、宗教の”仕事”は腑抜けた気持ちになる。

仕事はやってのけると少なくともバイト仲間のおばさん方や、父のお客のご主人や奥さんに認められた。

宗教では、その活動を続けても信者自信が人生を放棄している人ばかり(一部、誠実に商売をやり宗教を二の次の人もいた)


 燃え尽きるほどに仕事馬鹿。 俺の28歳のときの自分を今、表現するとこうなる。

 だが、どんな仕事でも嫌な仕事でも、きつい仕事でも淡々と苦しみを感じながら通過した実績はでかい。

 あの不毛でわけのわからない活動で家を訪問し(何が”キリスト”にならうだ。大本の現役キリスト教もやっていない)


 あの活動に献じたお金を返して欲しいものだ。 依存症でひきこもりばかり狙うのが手口。もう団体名は出さない。

 そういう人を神に選らばれた? ちがう、世間知らずで騙しやすいのだ。



 そんな回想をしながら、俺は徐々に現実の世界へと視野を向けなおしていた。突然の衝撃。

「社長になる。好きなことで」

と閃いたのも同じようなすごくうつでしんどくて、自分の人生を知りたいと感じたときだ。

神の答えではない。

自分の中の何かが言ったのだ。


 また、この体験もやがて大きな収穫のトリガーとなっていく。