★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2014年4月1日火曜日

前進姿勢

進め。

前が見えなくとも。

年内にKD2☆===;を販売すると言う目的は俺の姿勢を正す。

しんどい。

それもそうなのだが。

先ほど、STGを3本遊び、なんかそれから書くと言う。

負荷をかけた状態は、実は隠した己を自分で引き上げる方法なんです。

沈没中の自己ってあるの。

人はたくさんの自己を潜在意識に持っているらしい。

今は学生時代の起業家を目指した自己をゲームに打ち込むことで選んでいる。

あのときも高校はきつかったし、体力づくりは大きな公園を走りこみ、筋トレもしていた。

日曜日のパソコンサンデーは楽しみだった。

その上で学生をするという変な時期。

春休みにこんにちわと母から貰った入学祝いで、X1Fモデル10フルセットをゲットする。

そのときは最初はX1仲間がいて、遊びに行ってゲームを借りたが、当人はその先の大学進学へシフトしていて、

一緒にあそぼうは叶わなかった。

その前のMAXマシンはプログラムをSAVEしようにもデーターレコーダー(カセットデッキ、専用の))

が馬鹿高く、輸入物。

おもちゃ屋さんでMAXマシンは買ったのだが(ファミコンは売れまくっていた時期。無くなったので、

そこの店長はMAXマシンを勧めてきた。おんなじ1万4800円なり))

今の視点でリライトすると、もっと詳細に思い出せる。

クラスメイトとかと違う選択。

同じにするなら会話とかついていけたろうに。

仕方ない。

その後、ファミコンは買うのだが。ドラクエはやる。1、3のみ。

ちゃんと弟とけんかしながらも遂げる。

雑誌片手に悩みながら奮戦。

振り返るとやはり前進姿勢でした。

今でもさっきやったゲームで手先が震えている。

やる。

進む。

簡単なことを遂げていく。習慣としていく。

選択が明確である。

誰が見ても、ゲーム開発者との印象が生じるように数年がんばり抜いてきた。

姿勢。

誰も国の援助を受けていることを忘れるくらいにした。俺も書くときしか思い出せない。

この今の俺にはたくさんの援助があった。

うつ病との出会いで、医師、PSW、看護士、患者仲間。そして、作業療法士の方。

音楽療法士の方。(一時、音楽療法士を目指すが、作業療法士の援助で研修をリハビリ通院中に受ける。だが、音楽療法士の先生がいきなり怒り、仕事に対してなんか投げやりなところをみせ、
俺はショックで撤退する。縁が無いのだなと))

こんな経緯と背景はすべて使う。

うつ病とかそのリハビリテーションとかは実地で大変な想いを通過した。

だから、今でも思い出してしまう。

だけど、今はそんな想いとも受け入れつつも前へ進む。

記憶した嫌なことは足を取る。また、もっと楽な選択して、ひきこもりバーストをかますこともできたろう。

(注記: ひきこもりバーストとは、今の現状に心の中にひきこもり、自分で自分の人生を破壊する選択のこと。入院前に体験。それが入院の契機となる。その後、同じ立場の方がいたが、

見事に人生を破壊しているさまを見て、絶対に嫌だとノートに書きまくった。

そのときに世話になった医師の言葉が走馬灯として出る。

「人は上がるか下がるかしかない。下がることを自分に許すならもう上がれない。上がるなら、ずっと上がることをして、自分を変えるしかなくなる。(この医師は起業家でした))



すれ違いの方は刺激をくれ、付き合いが長くなった人は(様々な職業にいて、具体援助とかしてくれる。ありがたい方たち))

続けると、そんな人たちのサポートがあるときは痛く、あるときは目を覚ます上で有効であり感謝。

そして、時代は試練の時となっている。

ありがたいな。

俺って、試練のときにMAXまで上がる。それがすごくて、過去にクラスメイトに言われる。

「げんなし。(注記:限界が無いこと)」

受験時代にできることをして、更にそのもっとを極めた。

高校では起業家になり、持込までクラスメイトの援助で行く。

・・・

そうなのだ。

あの7歳のゲームセンターあらしとの出会いは、俺の道に明確な印を示していた。