生活保護企業の生き方。
ネガティブに捉えると単に生活保護でかっこつけで無理に事業展開と称している。
ポジティブに捉えると現状でもっともお金の流れがあり、その一部を低コストで会社を運営するという、
現実的な選択。
この形の起業は2007年に思い付き、同時に新聞配達という地道なしかたでの生活保護脱出を試みたことがありました。
毎朝2時起きになり、ブロードバンドのADSLは引いていたので(その分、食費に食い込んだ)
その現状で「俺の回復日記」というものを書いては更新していました。
癒しを仕事にできないかと感じ、模索していました。
かつて宗教にはまったときに個別伝道という分野にその流れで体験し、
同時に宗教内の現状が悲惨だと知ります。そのときには何の体験もありません。
でもなんとかしたいとの想いもこみあげては抑えていました。
聖書や当時の宗教の本に答えというかヒントがあったような感じはあります。
悪書であり、かなり強引な展開の人生の指導をするものが多かったですが、
その大半が世俗の資料の引用であり、その中でもっとも使えるものをまず自分に使うことをしました。
対人恐怖とか扱った記事もありました。
でも解決策が世俗の資料を概観した後、宗教内の偉い人に相談とか(実際は偉い人に能力の差があり、相談してもわからないとか、もっと詳しい人に聞いてが多かった。)
神様に具体的に祈りましょうというのもありました。
これは意外に効いた感じがありました。
今冷静に捉えると、「お金が無い。仕事が無い。食事ができない。」
との祈りをしていました。当時、実家の事業の手伝いかバイトかもしくは自営をしたり、
モノを売ったり(自分の持ち物でお金になるもの)
かなりシビアな現状がありました。
上の祈り通りになりました。
実際は実家で生きていたときはご飯が食えないということはありませんでした。
なぜなら実家は多くの人との接点があり、仕事が無いとかお金がぎりぎりと親は言っても、
冷蔵庫には必ず必要な食材はありました。お金の使い方がわからないというのが親の姿でした。
安定して仕事がある場合は一定期間です。仕事が入るなら同時に人件費や材料費、経費が出ます。
長い付き合いのある金物屋さんには親父は電話して待ってもらうことがありました。
でもそれでも信頼があり、事業は回るのです。
お金の流れがあるのに変に心配し、俺に愚痴をこぼします。母が。
俺は今でもそんな愚痴を聞きますが、本当にお金の流れが無いという体験がありません。
手持ちに1円しかなくても、1円はありますね。
極論ですが、その1円が無くても今日1日食べるものがあり、電気、水道、ガス、
そしてネットで発信する環境にあるのでリッチといえます。
タイムスライスという考え方です。これはある資源を時間で割り、充当するという考え方。
学生時代にPC関連の実習で習いました。
授業でMS-DOSマシンと大型プリンターが接続された環境が学校にありました。
皆同時に使うと時間待ちです。
マシンからコマンドでPRINT(リターン)と送る。それを送って待つのです。
これが実は人が常にしていることです。
今日はこれだけしか金が無い。リターン。
そういうコマンドを絶えず考えては送っています。
社会は(宇宙と書くと宗教的な感じになりますので)
それを捉えて、現実を返し、それを見て感じて、ああとなります。
面白いのは厳しいと感じる人ほど、掃除や整理整頓、計算、請求書の内容確認をしないのです。
また支払いの期限が過ぎてもあぶれ期間があるとか知りません。
支払いが遅れれば当然、電気は止まります。
でも交渉はできるのです。
いついつにお金が入るので待ってもらえませんかと。
その代り、確実にそのいついつの日に支払いをしないといけません。
俺は綱渡りが多かった。
でも食費を削ってでも払いました。
もうしたくないですがね。
今は月初めにお金が入ると一気に支払います。
残りをお米代と食費とわけ、お小遣いは本一冊まで。
1円とか5円は可能な限り毎日、瓶に入れます。
1円が現実資本金として増えていきます。
5円はたまにしか入れませんが、将来の設備投資費用です。
最初はこれを聞いた人はびっくりしていましたが、
習慣化するための方法です。小さな額でも毎日貯金は根性ですよ。
これは絶えず、お金がある。お金を動かしているとの自覚が生まれます。
財布をチェックして1円、全部没収。
貯金瓶へ。
混乱気味に書いていますのでなんかまとまりません。
こんな記憶がごった返しているのか。心の底に。
これが痛みなんです。
毎度、ブログでこんな体験とか書きますが、何とかなった体験であり、
何とかした体験です。
また、支払いが怖いのはちゃんとチェックしないで怖がったとの気づきもあります。
恐れから逃げない。
逃げても支払いは無くなりません。
電話して相談すると好印象です。
そこまでして払うのって驚きますよ。
2007年はこれが数回ありました。
俺は近所の支配の場所が移転で亡くなった時に名古屋市の大きな場所へ、通院の帰りに寄り、
支払いを実行しました。
あっちはすごく丁寧に応じていただきました。
嬉しかったですよ。
これが起業とかオーナーになる訓練だったのだな。