★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2014年3月28日金曜日

精細なさちえねるぎー

 先ほど、うんうんとうなりながら、すごく白い泡を見た。

VOID。

だ。

バブルだった。すごく光る白い泡。

そんな場所から宇宙が誕生した。

私の研究室は、安アパートにある。

そして、皆さんのオゼゼ(訳:お金)で動いている。

すごく疑問に感じたことを本やネットやそして、ノートにらくがきすることで解明している。

この仕事に就くのに自分の中の変な遠慮があった。

だって、労働せずにお金を得ないといけない。

基礎物理の上を探していたし、何よりも俺は大学を出ていない。

現役の学者様から見れば(最近は、すごく豆でやさしい方だと本の文面で知った)

小学生時代から、本当に勉強が学校でするものなのかと疑問を持つ少年でした。

学校の帰りにヒントがたくさんあり、秘密基地作りごっことか、原っぱで皆でどうでもいい話をするとか、

そんな中に勉強があったと感じます。

学校は学校で役割があるとしたら、型にはまりつつも国語能力や算数の能力、理科などの科学知識、

社会などの社会を俯瞰する能力、体育はスパルタな自分を生き抜く訓練を得る。

英語は学校英語は本当の英語ではないのだけど(外人さんとしゃべるのにガチガチ英語よりは、

単に英語がわからないと相手いいって、片言の英語と日本語とじぇすっちゃーである程度はわかる))

 うちの近所はたまに外人さんが散歩していたりする。俺はなんか駅を教えてくれと言われたことがある。

日常に、知りたい疑問の答えがごく普通の形で存在していた。

その断片を得るのに人は会社勤めをしたり、場合により、ひたすら探求したい場合、親の援助を受けたり(引きこもることもあるよな))

国の援助をおやが余裕が無いときは得る(俺は会社を自己破産したときにそんな流れが生じた))

結果、ゲーム開発がこの自分の知りたい探求のための手段だと思い出す。

この地球での生活は実はゲームであり、役割で制限をかけ、スローモーションに自分を見るのだ。

似た体験は、WindowsXP上でVirtual環境でLINUXをインストールして遊ぶとわかる。実機よりは動きが遅い。

でも、どうやって起動するかはそのプロセスを見るうえではいい。その上でアプリを動かすと遅くて、

いらいらする。

なんか、すごく関係ないところに自分の探求のための手段が転がっている。