★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2014年1月21日火曜日

足りるを知る   斎藤一人さん



今の自分で十分。

今の経済力にありがとう。

自分の運にありがとう。

健康にありがとう。

不安

ずっと以前に(1998年に)

派遣会社で働いていたことがある。

今はどうだか知らないが、

自分から現場の上司に支持を求めることがマニュアルにあった。

そのときにあった不安が、

これが一般的な働き方になるなら、

人は仕事から喜びが無くなるなとの直感でした。


喜びが無いならうつになる。周囲の仕事仲間の顔にもひきつったつくり笑顔をしかない。(1998年当時))

買い物に行くと、

恐らく、派遣社員らしき人が、おかしな働き方をしている。

一人で十分の部署にふたり。

思えば、

介護を受けていたときのこと。

誰が派遣されるかわかりませんと、その介護会社の偉い人は契約のときに言った。

俺もしぶしぶ承諾した。

最初はひとりであり、ほぼ毎週、水曜日に担当の人が来た。

おれとしても、料理と掃除の指導を受ける形の援助をお願いし、ケアプランにしてもらった。

だが、

段々援助を受けるうちに、

一回だけ、実家に逃げ出したことがあった。

恐れと憤りからだ。

健常者でも、毎回、人が違うか、思いもしない二人組みが着たら、

緊張より、恐れが沸くだろう。

そして、

なんかくつろいで帰っていく。

仕事で俺に料理を教えに来たのだろう?

俺は国に費用を出してもらっていたが、

それすら申し訳ないと思っていたので、

教わったことはしんどいなかまず、指導を受けて、ふらつきながらやり、

介護の方が帰った後、

自分で料理をもう一度したり、掃除をもっとやった。

2010年には、生活保護すら出るプランをノートに書いていた。

だから、

余計な援助を一切切った感じの支援をまだ受けている。

後は、

売り上げで飯を食う最低ラインの確保するか(かなり無理がある)

他にスポンサーを人の紹介で貰うか。

これすら現実的でない。

毎日、何かして、前へ出る選択をしないと、

上の介護に来たような人の二の前になる。

自分の感情や信念を放棄した生き方になる。

俺は断固いやと生き方で貫こうと思う。

じゆう2013(kd2りゅう)(+ 再生リスト) コラボのテスト





他のゲーム製作者さんは、

音楽が苦手なら、得意な方と組んで、世間に作品を出している。

この特別版 KD2-MVは、自分のゲーム技術を使って、映像作品化に挑戦したもの。

これは特別版。

製作しているバージョンは、かなりことなった様相に変化した。

途中のものを晒すことを今年からやめることにしました。

出る直前にします。

2014年末が目標です。販売を。

ありがとうございます。

最大の課題 自作BGM



去年の暑い夏の中、

もがきながら、PCのキーボードをMIDI-キーボード化するソフトで、

即興曲をUPした。

恥をかけ、クリエイター。

この言葉が頭にあって、実行。

今日も今日の恥を晒す。

S.S.T. Band Live After Burner Medley



朝早く、散歩するときに、

一時、

頭の中でこの曲がなっていた。

比べない 自分のするを見る

人と比べて落ち込む。

収益を比べる。

働き方を比べる。

性別を比べる。

年齢を比べる。

生き方を比べる。

財布の中の額を比べる。

立場を比べる。

将来性を比べる。

 で、何かいいことがあるかな^^;

無いね。

自分が事業家だと感じているなら、その自己表現を人に出さないといけない。

ただ、スポンサーとしてつかうところが何らかの制度だと、

俺は落ち込む。

それを使えない方とかは、うらやむとかいいなとか思う。

実際、長いことお世話になり、無駄遣いしない限り、

家で作業に打ち込む限り、

家事をちゃんとする限り、

この流れは、人生の流れになる。

縁が無くなる。

それが人生なら、人生が、代わりを持ってくるだろう。

父の人生は事業家の人生だけど、不思議と、お金に困窮するときは、

試練としてきて、もがいて、自分のしたいことをしだすとなんとかなってしまうということを俺に見せる。

そこには純粋にしたいことをできるのにしないとの先祖がうらやむ自由を使わないことへの、

DNAレベルの仕打ちが体にあるような感じ。

流れがあり、

頼まれごとをすると、

それがきっかけで、

人と繋がる。

人、もの、金。

ある事業家は本でその順でしか、お金はこないと書いた。

俺は散歩したり、買い物したりして、

また、怖い中、人に話しかけたり、

そばに来る、小さな子に目を留めたり、

俺なりに、自分を許す、人を許す、自分を許すを実行している。

人は自分と違うことをする。

したいことがちがう。

考えも違う。

生き方も違う。

社会はそれを包含している。

俺はその中の一人。

偉いなんて思う方もいるのだけど、

2007年から立ち上げた、再起業がそんな評価を得て、

俺も外で歩くとき、買い物のときは、関わる人に丁寧にを強いてきた。

変な気持ちになる。

2007年のときは、怯えながら、散歩し(朝早く)、コンビニへタバコを買いに行ったのだ。

この1月に。

今は、この1月に、この文章を書き、人生を表現している。

この差が早起きの生き方に変えた差だったのだ。

朝早いと、

新聞配達の方が、最初は !!!!

慣れると、 ^^¥

になる。

俺も、その反応が怖いと感じるが、

怖いと感じるままに生きようと感じました。

万能ではない。

人として完璧ではない。

落ち込む。

悩む。

ただ、その苦悩を、結構、さらけ出す感じが今の俺にあり、

周囲のかたがたはそれぞれの活動への道すがら、

微笑んで、職場に行く。

俺の場合、

自分の部屋に職場ブースをこさえて、

開発者してます。

レシートを数えて、予算割するときは、

オーナーしてます。

です。

あれから7年。

ちゃんと仕事をがあり、経営をし、


資金がくる。


ありがとう。

もう、そういうしかない。

皆にありがとう。

自分に感謝。

さぼるということ 人生の技術

しゃかりきに働いた20代。

1990年代。

当時、周囲もそうでした。

仕事が入るとゴールデンウィークもない。

かといって知人友人はゆうゆうと俺の車を借りて、山へ遊びに行く。

 俺も人がよすぎるなと後悔したものです。

父の事業が下請けだったころ、

俺は怖いと思っていた電動丸ノコを使いこなせるようになり(きらりん☆)、

一戸建ての修理に燃えていました。

手伝って、5年して、父の仕事は増え、俺は現場ひとつ与えられ、

日雇いだけど、家一見丸ごとのアルミサイディングをやる立場になり、

ひとり、岐阜の住宅街の家の裏に車を乗り入れて、

現場について、仕事に呑まれるとかありました。

最初は、泣きました。

 怖いし、できるかよこんなもの。

しかし、

父と一緒にやったように、

朝まずは缶コーヒーをぐびっ!

親方気分。

それから入念に家をチェックし、

呼び鈴を鳴らし、

おうちの方に挨拶。

「今から工事はいりますのでよろしくお願いします^^;」=>自然と笑えるようになる。

材料の上のシートをはぎ、

リールコードを伸ばし、材料の加工の場を作り上げる。

はぁー

恐怖が和らぎ、緊張とともに若干の自信が。

ここまでがローギアだな。

このまま、家の裏手から張り始める。

ローのまま無理に自分を引っ張る。

 ガツンっ!

 俺様のエンジンがうなる。

 ぐいいいいいいいんんん

 おうっ! 俺は大将。やるしかないのだよ^^¥^

 きりり

 体があったまる。

 じゃあ、人の目のある表へ


そんな思い出が出ました^^;

そしてさぼる。

 なんとなく歩き出す。

 もう一本缶コーヒーを買いに。

 周囲が家ばかり。

 後ろめたさと自分の選択でサボる自由。

 このときからパートタイムであれ、社長見習い。

 大手を振って歩いた。

大変な仕事に挑戦しても、

自分の選択で仕方を変えたり(人生の姿勢とか、まるで宇宙船だなと思ったのを思い出す))

やり方を工夫したり・・・・

 現場を離れて歩いて思いつく。

 仕事は大変だ。

 ゲーム製作もそうだ。

 この話はゲーム作りとまったく関係がない。

 だが、自分で受けるとか自分で仕事を作り上げ、納品するとか・・・

 全部自分の選択なんだ。

 流れもある。

この文章が書きはゲーム製作前に書いている。

もう、毎週火曜日の洗濯の日課は洗濯機に任せている。=>自動だな。

電子ジャーはご飯を炊き始めた。=>自動だな。

持ち物を使いこなし、この発明に思いを馳せる。開発者、万歳。ありがとう、先輩方。

忙しくても、暇でも、さぼることをしよう。

その場を離れるのだ。

歩こう。

暖かくして。冬は。

今日は、散歩はサボりですけど。