ゲーム作家は結構、人との接触を嫌い人が多いと何かで読んだな。
まあ、そうだよ。俺も長らくそうだったから。
でも、散歩や家事などの日常風景。買い物。特売セールの日は押さえるとか、そんな主婦(主夫?)
のような生活感も俺には要る。
ゲームを創り売るのはどっちかというと仕事であり、遊びの要素がある。
だが、家族や友人や大切な人との交流も大切なことであり、
待たせている彼女にはいつも心の中でごめんと言っている。
そして言おう、ありがとうと。
彼女のおかげでゲーム以外の世界に目が向いた。
そして、リハビリを頑張れた。
その上ですべてを許して俺は俺の戦いを生きている。
愛しているよ。
★きらら 自分から出る声を聴こう ★
2011年7月13日水曜日
SION2 [X68000 games] appendix of the magazine "Oh!X"
時代ってすげーな。
PCが速くなるとその上で昔遊んだマシンのエミュレーターが動く。
この場でエミュレーター開発者に礼を言いたいな。
ありがとう。
今の俺のゲーム開発ソウルを刺激した一因だ。
OutRun (Arcade) Full Completion
往年のゲーマーでこのゲームをゲーセンでしていないならもぐりだ。
セガのMkIIIを買ったときにこのゲームが発売されると貯金をはたいて買った。
ゲーム機には限界があったが、雰囲気はよく移植されていた。
そうなんだよねえ。移植で学ぶこともある。
自作のゲームがWIN98SEとWINXPで動くようにするのにそのOSの違い、いや、ハードの違いか、
ジョイパッドを繋いでも同じように動かない。
仕方ないので昔を思い出し、つーか、ちゃんとテスト用のソースがキットの中にあって(便利だな)
数字で違いを拾い、理解した。
昔からの老舗のソフトハウスがPSPに移行するのを残念に感じていたが、ハードをひとつに固定できて、その市場がでかいなら
俺もそういう選択肢をいれるだろうな^^¥
でも、あえて、デビュー作はPCで行く。
もし、十代でゲーム作家になりたいなら生活の普通も極めておけ。
生活感の無い人は遊びを理解できない。
家事はしんどい。当たり前。それをこなしてからのゲームプレイは楽しいのだ。
俺は家事とゲームプレイと開発とブログとマルチスレッドでやっているけど、
家事がベースだ。
間違えんな。
ゲーマーは生活が先。ゲームプレイはその後。
ご褒美なんだ。
BGM
当然ながら自作ではBGMをフリーを使うか、
自分で創らないといけない。
前から解っていたけど、まだ、あの曲、起立礼着席の、
タン
タン
ターン
しか作れない。いや厳密に言えばこれもぱくり。
PCのキーボードをMIDIキーボードに変えるフリーウェアーを俺は使っているが、
何度もBGMが散歩中に降ってくるんだけど、それをドレミに変換するのは難しい。
ゲーム作家で本格的にやるとやることが山ほどあることに気づく。
こんなゲーム製作体験記風のエッセイすら営業なんだからね^^¥
あえて書かないと、面白い読み物で読者さんたちにスルーされそうだし。
夏休み中で収まらない(まだいってんな、おいら)
あえて、期待しないで見る放置プレイをおいらにかまして欲しい。
たんたんと
こつこつと
そしてがんばらない
だって、元は趣味だもん。
ゲーム作り。
自分で創らないといけない。
前から解っていたけど、まだ、あの曲、起立礼着席の、
タン
タン
ターン
しか作れない。いや厳密に言えばこれもぱくり。
PCのキーボードをMIDIキーボードに変えるフリーウェアーを俺は使っているが、
何度もBGMが散歩中に降ってくるんだけど、それをドレミに変換するのは難しい。
ゲーム作家で本格的にやるとやることが山ほどあることに気づく。
こんなゲーム製作体験記風のエッセイすら営業なんだからね^^¥
あえて書かないと、面白い読み物で読者さんたちにスルーされそうだし。
夏休み中で収まらない(まだいってんな、おいら)
あえて、期待しないで見る放置プレイをおいらにかまして欲しい。
たんたんと
こつこつと
そしてがんばらない
だって、元は趣味だもん。
ゲーム作り。
AC版 初代R-TYPE ステージ1~2
グラディウス派(KONAMI派)だったので、R-TYPEは異質に見えた。
他人のプレイやテーブルの説明を頼りにプレイ。
何か緊張感が先だよな。このゲーム。
今でも何か見ると緊張する。
ゲームも相性がある。
このゲームを携帯にDLしてあそんでみたが、やはり肌に合わなかった。
AC版 初代グラディウス STAGE4(逆火山ステージ)復活
1面の構図をひっくり返すとか・・・ 初めてゲーセンでやるときに、うまい人(多分、大学生)
のプレイに、そしてその画面のきれいさとか発想のすごさとか・・・
この動画を見るたびに思い出すんだよ^^:
感激とか感動が。
思い出のゲームであり、憧れでもあった。
X1でbasicでぱくりをアスキーアート版のビックバイパーとオプションを動かし(ベーマガのゲームプログラミング講座にあったの)
アルゴリズムの設計とプログラミングができればゲーセンのようなゲームを自分で組めると確信した瞬間があった。
16歳だったけ。
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