★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2013年7月17日水曜日

斬! 3 無意味な世界で

2013年。

自己表現することが最高の生き方と知り、

世間が提供するものを選びながら、表現主体の生き方こそ、ぼくと感じる。

世間は無意味と俺は感じるし、もっと言うなら世間かた来た情報に人を壊す嘘がある。


皆がそれを知り、自己選択で生きるなら、この世間のえぐい部分だけ避けて生きることができる。


その人らしさは世間の情報源にはない。

自分のセンスはあなたの中にしかない。

出すかどうか、黙るかどうか、発言するかどうか、歌うかどうかは常にあなたの選択です。


俺は2008年の1月以来、自分らしさを表現する旅に出ました。

その道中で自分の中の声に負けたり、たくさんのアクセスが殺到して迷惑をかけたり(サーバーに)

災害があれば、俺自身の被災体験とボランティア体験から体験を分かちました。

ブログがかなり使い方によっては有効なメディアと知る機会になりました。


毎回、自分との戦いです。自分を出すとそれを面白くないと考える奴がいるとかの被害妄想が出ます。

それでも書く。 自分のためって長いことやると、結果、人が欲しいことを書くことになります。

無意味乾燥な世界。

感情砂漠。その中で俺は叫ぶ! 俺はこう感じている!!!!

俺はこんなアイデアがある。

誰かに乗っかる形式の自己表現もある。それは大本の発信者に依存する。


自分発が自分らしい。 自分が大本であると宣言し、書く。

2次創作など、インスパイアを受けてそれを真似る自己表現もある。

だけど、やはり、人はオリジナルを見たいのだ。

病になると人は医師に助けを求める。求める。求める。

でも、気づくと長い間通院して、一定のパターンの人生に生きていることに気づく。

医師なしでは生きれないとの嘘を信じた人生だ。俺は2007年の通院時に通院の帰りのバスで気づく。

自己治療はたくさんのものがある。ストレスを感じることで筋肉の緊張やその時の記憶を解放する

方法が今の俺の自己治療だ。

世間には説明しない形の不要なストレスがある。それにより被害にあい、事細かに心的な外傷を人は、無自覚で負う。

戦争地域でしか得ることのない心的外傷をどうして日常で負うのか?

疑問だ。

平和だと思った世界が、結構、真面目を守りつつも、私生活で周囲の人に被害を与えるものがある。

自分から出す音。それがたとえ自然でも、極端なものは聞く人の心に緊張を貯めこむ。

貯めこむのは、人の騒音とか人が自分で良しとした活動の影響。人によりそれは断ることのできない迷惑な行為であり、

じっと我慢して、たくさんの心の傷を増やす。これをPTSDと言う。

この治療は戦争地域でPTSD治療を開発した博士は、その緊張を感じてしまうという方法で対処を勧める。

忍耐。この言葉は嫌いだが、俺には効果がある。その忍耐で緊張を貯めこんでひきつる筋肉はもっと緊張するが、ある限界値を超えると弛緩する。ゆるむ。その環境でリラックスを身体は始める。

驚きだった。

斬!

無意味な世界での被害は、この状況を誰しも当たり前と信じたのかもしれない。

俺は大いに疑った。

結果、筋肉を緊張させて生きている。やがて緩むから。

その結果、笑顔が出やすくなったよ。

斬!(おわり))