★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2014年3月23日日曜日

ぼくが創作をする理由

 理不尽な世界に13年もの間つかり、

その道中で、アダルトチルドレンと言う知識に出会い、

回復の必要を本で知ったからです。

かなり困難な道を1998年から歩んでいます。

通院でこのことに詳しいクリニックに通い、

コミュニケーションに問題ありと主治医に言われ、

傾聴やアサーションの訓練を受けていました。

その後、薬が合わないことでパーキンソン症状になり(赤ちゃん歩きのロボットのような、感情が出ない苦しみの障害。)

転院し、3ヶ月間の入院で体を直し、リハビリでデイケアで集団生活の訓練を受けます。

その後、もっと、働く上で訓練となる作業所に移行、通院も近所のクリニックにします。

元気と再発と、近所の方の騒音に悩みながら、ブログと高校時代の夢を回復の道中で気づき、

手持ちの機材ででき、格安ですむことから挑戦を開始します。

「好きなことに打ち込みなさい。」

とか、

アダルトチルドレンは自己表現で回復するとワークブック、また、作業療法で塗り絵を入院中にしたことが契機になり、

治療を変えてもらいつつも、手先を動かす訓練をします。

また、家事がぼろぼろだったので、必死で本で学んだり、一時、介護の方の援助で火事の仕方を学び、

3年くらいの週一回の訓練を受けて、自信をつけてから契約を解除します。

アダルトチルドレンは 何かを成し遂げた体験が無く、途中で放り出し、責任を取らない。

それを意識して、混乱と相当なショックを自分に感じながら、家事と家での作業療法に打ち込みます。

日記が主体でした。

学習に問題があって、本を読んで、熱が出ることも。

その感想をノートの書いたり、脳のトレーニングの教材を100円ショップで買って頑張ります。

簡単な計算とか感じの書き取りはかなりの効果があって、しんどくてもやり遂げると、

元気になりました。思い込みによる勉強は無理だとの障害は霧散し、勉強をして、

好きな分野の本を読んだり、今まで読んだことの無い本を図書館で借りてきて1日読むとか、

自分のハードルを上げまくりましたね。これが2007年のやっとことです、上の内容で時間の流れから

かなりバラバラになった部分もありますが、自己表現が私には必要であり、それを人に見せることで、

(ブログ))

日記のように自己満足のものから、アクセス数を気にして、人目を意識しつつ、

表現力を上げる訓練は相当な苦しみと、感想による応援を得て、自信が上がります。

時々、今でも何もしないと苦しみが起きますが、それも回復の過程で何回も起きるものであり、

通院時代にケースワーカーさんの助言で、「それも必要と見ましょう。」と言われたことを思い出し、

寝込むときは素直に寝て、

また元気になったらそれをするか、他の選択で音楽を聴くとか、歌うとか、散歩するとかして、

前の自己を責めて、人生を放棄するようなパターンを選択しないように踏ん張ります。

陥ることもありますが、それはそれでいい。

今は通院をしていません。

何故か。

病院に依存してしまう傾向があり、それが依存症から来る言い訳で、回復をさぼることを日記から知ったからです。

薬で楽になるか。いいえ。症状は薬でどこか楽になりますが、ぼくはもうたくさんの薬を変えては飲んでいて、

体がもう受け付けない状態になり、先生が悩んで、もう変えないと言うところまで行ったからです。

そして、学生時代のうつ病をまだ認識しない時代のことを思い出し、もともと、うつ状態がおきやすい

体質であり、無理にうつを変えないほうがいいと、そう思い直したからです。

かなり遠回りになりましたが、時期的なうつが春先と季節の変わり目に起きるので、

そのときは、ぼやーと過ごし、食事はとる努力はします。

取らないと、それがまた再発のチャンスになるからです。

器質的に欝になりやすい脳なのかとか以前にかなり相談したりして、

先生も笑いながら聞いていましたが、

アダルトチルドレンの本の知識はひとつの見方であり、絶対ではないと先生は言いました。

あまりそれに依存することで、何か宗教に依存した症状と同じになることがあり、

バランスよく、まったく違う分野の本を読んだり、まったく勉強しない選択もします。

受験時代のトラウマか、無理に勉強して狂信的になりやすい。

それはおかしなことであり、勉強しないでもできることがあるので、

心理学の勉強とかは距離をとっています。

また、治る治らないとかもなんかの問答になっていくので、

それに陥るときは寝ます。

かなり根が深いと10年前あたりに言われたことが気になりますが、

それもしょうがないと、それで責めてももういいなと感じます。

この手の話は避けたいと思いますが、

どっかの先生の真似で、勉強したことをアップデートして晒します。

大抵は前の文章のリライトになりますが、前の比べるとかなり被るので、

この知識のぐるぐるを記憶内でしていて、それがたくさんあるのだと見ます。

回復のツールを手に入れたり、

それをまた宗教としたり。

精神世界に入ったり出たり。

断食したり、ヨーガの瞑想をしたり。

どれも効果があるときと、かえってどつぼにはまるときもありますね。

直感でやりますが、

この文章すらそれで書いています。

トラウマを与えて人々が今、かなりひどい状態になっています。

人を個人的なうらみとか悪いことをしていて(お金の横領とか)、宗教的な戒律違反にかこつけて、

罪をひねり出して、複数の人数でいじめるのは、一般でもありません。

その団体はエホバの証人と言われるものであり、

1989年に入ったころ、RBCという自前で王国会館と言う宗教の集会のための建物を建てるのに、

ものみの塔聖書冊子協会が(神奈川県の海老名市に日本の支部。会衆という集まりの総本山がある。))

会衆にこの建設費を貸し付けて、利子を取ると言うのを集会で知り、ひとつの王国会館を建てるのに、

周囲の会衆からも寄付を集め、なんか変な空気の元でしてるなと、外部から入った俺は感じ、

世俗の仕事が建築関係だったので、ボランティアで援助し(仕事時間を削り、仕事先に迷惑をかけた))

ある掲示板によると、

ものみの塔は基金を作って貸付を行なっていたそうで、信者はものすごくおかしな精神で生きているらしい。

これを読んで、相変わらず笑顔能面の無感情動作かと思い出し、すごくトラウマが起きた。

貸し業者として登録が無いらしい。

また、宗教がそんなことをしていること自体、

脱会した始点では奇妙と言うか、やはり金儲けの団体だったのかと思う。

かなり前に断絶と言う処置をネットの情報を元にしたが、

その後の今まで、疎外感と孤独感と世間の人によるそれの対する批判とかあり(どうしてだろう?)

辞めたことで2時被害があった。

こういう話を書いて出して、この問題に悩む人に情報を書くことになりますが、

カルトが人助けとか救いをくれるとかあるわけがないと俺は言いますね^^¥

こういう風にぼくは表現しないと、

それを知らせないと(伝道の習慣の転用です))

習慣は深く入っていますので、使いつつ(あるカウンセラーさんの薦め))

心に残る情報を吐き出して表現して、晒して、

私は生きています。

脱会したいともがいたときに、アダルトチルドレンの本に出会えたのが不思議な感じで、

こんな祈りを直前にしていました。

「エホバよ、あなたの方法で結婚を教えてください。」

その答えがアダルトチルドレンの本であり、また、クラスメイトの方との再会で、

相当ショックなことを言われ(縁を切るぞ))

混乱と悩み抜いた脱会であり、今でも迷惑をかけた友達への罪滅ぼしなんです。

辞めてもそれは解決にならないと友達は言いましたが。

精一杯、自己を出して表現することで、

ぼくはぼくを変えていきます。