この世界は依存症の世界であり、極端に人を怖がるか、依存かの選択しかないと私たちは信じていた。
精神科医療から距離を置き始めた私は、回復体験を多く積んだ人として、体験を語る立場にあるし、
可能であれば大きな会場でマイクをにぎり、声を大にして、精神科と介護と自立支援の問題を話したいと思っています。
今の主治医に回復体験を語る場は無いかと尋ねましたが、そういう情報は役所にあると。
通常は精神科医がやることだとも。
ある精神科は患者が患者に語り、精神科医が解説するセミナーをやっていて、2回ほど参加し、
ある女性患者の体験を聞いて、勉強した過去を思い出す。
今も患者が参加できるセミナーがあるが、私は前の病院で1回参加し、臨床心理士の話を聞き、
少しだけ、回復に役立った本のスピーチをさせていただいた。
少しの時間ではあったけど、元宗教家の本領発揮で、後で参加した数名の患者に感謝された^^:
人はどんな人でも自分を語り、堂々と威風堂々と生きて、壮絶な体験を話したほうがいい。
それに涙し、共感し、教訓を得て、新しい見方で回復が進む方が必ずいるから^^:
医師主体の治療は、医師自身が燃え尽きている場合があるので、力の付いた患者が、
ネットで発信し、もしくは、セミナーで発言し、具体性の高い援助を無償で(これがポイント)
与えるのは、勇気ある立場の方々の特権だろう^^: 私はこの特権にあずかり、自分の体験を語り
、アクセスのレスポンスと言う報いで、更に元気になる^^:
私たちは自由になりたい。この世界の病んだ思想から自由になりたい。そして、前へと進み、
苦しんでいる人に情報を与えて、試すように励ます。しかし、選択は当人の権利。家族の口出しも
ご法度だ^^:
人は個性があり、独特の生い立ちがある。それを振り返り、その人流の回復方法を確立して欲しいと
切に願う。 病は人生の真実を私に突きつけたナイフのようなギフトだった^^:
★きらら 自分から出る声を聴こう ★
2010年8月16日月曜日
介護業者の問題点
その時の流れに逆らわないで、自分の視点を保つ。闘病で身に着けた 技術だ^^:
役所にある用事で行ったときに、福祉担当からヘルパーの利用を提案された。(2008年)
他の役所職員もQOLを上げるのはいい事だと私に話した。
では、ヘルパーの援助で私のQOLは上がったか?
食事の手早い作り方や、掃除の仕方を勉強しなおし、この面での援助は役立った。私はその日のうちに試し、使える方法は改良した^^: 元職人で、元専務。私のスキルアップポリシーだ^^:
反面、介護業者の食い物にされた感じがあったし、何故か、新人の教育センターに私の家が使われ、
その業者の介護ポリシーを深く疑った。ヘルパーが来る日に無意識に実家に逃走した事がある・・
介護と言っても軽いレベルだったし、役所も上の命令で、動いていたのかもしれない。
業者にも悪気は無かったかもしれない。だが、不快な体験を多くし、今の介護の在り方に文句を言う人がいてもいいと感じる。
人はどんな状態でも生きる力を持っている。極限状態でも働いて、生きている方々もいる。
私の場合は、精神科医療の現場問題に巻き込まれ、妄信的に通っていたので、体力と精神力の低下があった。
家事ができる俺が家事が出来ない・・・ 何故? 上の理由がそれであり、リハビリで壊れたのだ・・
この矛盾を知って欲しい。そして気づいて欲しい。精神科は患者に薬を与えるのが精一杯で、
職員自体が依存症であると・・・ また、依存症同士の交際は極めて悪く、治すには孤独と自己鍛錬と、
通院先を変える選択と、実直な必死なコミニケーションだけだとっ!!!
また、軒並み、人々が病気になり、それでいて通院しているが成果無いことを事実として知って欲しい。
自分の人生は自力で勉強し、自力で癒し、最低限の援助を受けるだけでいいのだと。
ブログを2年半以上書いてきて、私の連載に関心を持つ方もいる。
まあ、依存されているかも知れない・・・
物理的に距離が取れるからいいが、自己主体性は、現実に体当たりし、痛みと教訓を得て、
自分の体験引き出しにしまい、使う作業の繰り返しだ。
医師は患者を治す援助をするが、万能でもなく、薬すら一時的な援助のツールなのだ。
心身を鍛えて、夢を生きて、笑う人生は自力で築くしかない。
介護を受けて、悪化するケースを知っている。認知症が悪化した人を・・・
自分で家事が出来る人に介護士は不要だ。これが結論です。
役所にある用事で行ったときに、福祉担当からヘルパーの利用を提案された。(2008年)
他の役所職員もQOLを上げるのはいい事だと私に話した。
では、ヘルパーの援助で私のQOLは上がったか?
食事の手早い作り方や、掃除の仕方を勉強しなおし、この面での援助は役立った。私はその日のうちに試し、使える方法は改良した^^: 元職人で、元専務。私のスキルアップポリシーだ^^:
反面、介護業者の食い物にされた感じがあったし、何故か、新人の教育センターに私の家が使われ、
その業者の介護ポリシーを深く疑った。ヘルパーが来る日に無意識に実家に逃走した事がある・・
介護と言っても軽いレベルだったし、役所も上の命令で、動いていたのかもしれない。
業者にも悪気は無かったかもしれない。だが、不快な体験を多くし、今の介護の在り方に文句を言う人がいてもいいと感じる。
人はどんな状態でも生きる力を持っている。極限状態でも働いて、生きている方々もいる。
私の場合は、精神科医療の現場問題に巻き込まれ、妄信的に通っていたので、体力と精神力の低下があった。
家事ができる俺が家事が出来ない・・・ 何故? 上の理由がそれであり、リハビリで壊れたのだ・・
この矛盾を知って欲しい。そして気づいて欲しい。精神科は患者に薬を与えるのが精一杯で、
職員自体が依存症であると・・・ また、依存症同士の交際は極めて悪く、治すには孤独と自己鍛錬と、
通院先を変える選択と、実直な必死なコミニケーションだけだとっ!!!
また、軒並み、人々が病気になり、それでいて通院しているが成果無いことを事実として知って欲しい。
自分の人生は自力で勉強し、自力で癒し、最低限の援助を受けるだけでいいのだと。
ブログを2年半以上書いてきて、私の連載に関心を持つ方もいる。
まあ、依存されているかも知れない・・・
物理的に距離が取れるからいいが、自己主体性は、現実に体当たりし、痛みと教訓を得て、
自分の体験引き出しにしまい、使う作業の繰り返しだ。
医師は患者を治す援助をするが、万能でもなく、薬すら一時的な援助のツールなのだ。
心身を鍛えて、夢を生きて、笑う人生は自力で築くしかない。
介護を受けて、悪化するケースを知っている。認知症が悪化した人を・・・
自分で家事が出来る人に介護士は不要だ。これが結論です。
この世界に奉仕する?
よく口あたりよく、地域社会に奉仕するとかそんな言葉を吐く、偉い方々がいる。
奉仕自体は悪くないし、その言葉も悪くない。だが、そういう方々が私腹を肥やし、住民を絶望させた例にこと欠かない・・・
先日は、打撃を皆様に与えると思い、ある本のタイトルの公表を控えていた。
だが、このサイトの関連サイトで紹介し、随分と皆さんの意識が高いと解かったので、
このサイトでも紹介することにする。
真実への旅 -ファウスト博士の教えー 斉藤啓一 サンマーク出版 1500円+消費税
これが病の回復のためのファイナルウェポンだと感じた。
誰しも病か、人生の問題か、両方を抱えて、おもう人生を生きることが出来ないで、絶望しているか
、その途上にある。
私はお金を稼ぐビジネスと信じたブログアフィリエイトを3つのサイトで展開しているが、
現実に失望し、自分の中の問題に直面せざるえなかった。 ビジネスを始めた動機と言う問題を。
あるブログアフィリエイターはひきこもりだったが、実家に寄生し、惨めな人生をおくっていて、
あるとき、ネットでこの仕事を知り、3年間の苦闘の後、年収1000万円の立場になり、結婚した
とその手の参考書に書いてあった。2003年当時であり、アフィリエイト自体がアメリカから来たから
、本に無い裏技を使ったのではと思っている(今は)。
必死で無資金で起業できないかと悩んでいた矢先、近所の本屋で知ったアフィリエイト。実際は
1000円以下の収益が1回で、最近になって、これは騙されたと思った。まあ、騙す方は悪いが
(恐らく、本で儲けた)、騙された私も悪い。いい勉強期間だったと感謝するのが商売人の道だ^^:
人を無意識に騙すこと自体が病気であり、騙されるのも病気であると私は感じている。
多くの方が知らない心の仕組みがある。医師やスピリチュアルに詳しい方は知っているかもしれない。
自我(エゴ)のことだ。自我は機械的な部分であり、人の心の自動システムである。だから、学習すると無意識に作業が出来る。
問題はこの自我が、私を含めた人達の自我が壊れていて、知識と得て、自力で修復しないなら、
病は一生治らないし、人生はずっと変化しないと言う現実です。
なかなか思うけど、実行できないね と、私や家族は口にする。
この言葉を感じて欲しい。やると思ったらやるだけじゃないか? 実行できないのは何故?
傲慢でただポーズだけの人生で壊れた自我の支配に真の自己がやられていて、底力を瞬間的にしか使えない、進化を放棄した生き方を気づかす、心の目が寝た状態だったから。
つまり、自己機能不全とは無覚醒状態自分のことであり、また、周囲の大半の人達もそうなのだ。
聖書に盲人が盲人を案内して、落とし穴に落ちるとある。 牧師になる修行時代に何度も読み返し
、上司の牧師を嘲笑したものだが、自分もそうだった。人を嘲笑すること自体、悪いことだ。
真実への旅は、衝撃的な体験に基づく、かなり強烈な事例をたくさん載せているし、主人公もうつ病で、ピアニストとして生きることにうまく行かず、ある縁でファウスト博士と言う奇妙な変人に会うことになる。
「自分を救えるのは自分だ」 「依存するな、依存させるな」 は私のモットーと同じだったのは驚きだった・・・
医師に頼りきるほど、うつ病は悪化するし、薬も基本的に毒なので、効力が身体に合えば武器として使う(闘病の)選択をしてきた。
今は一切の余分な対人関係が無い。何故か? 昔からの付き合いのある方々が悪化し、依存症が酷くなったからだ。
私は思い切って、通院先を変え、両方の病院の職員と役場から批判を受けた。だが、理由が正当だったので、規定の手続きを省略し、自分の意思で転院した。
大きな病院がいいとか、わるいとか、そういう問題ではない。うつ病はある意味ギフトで、仕事を正当に休み、人生について考え直す時間を俺にくれた。感謝^^:
人はいづれ、病気から治るために必死に動かないといけない時期が来る。私のように夢がある奴は、
病気や通院や、国の庇護を受けた、抵抗をつけた状態の生き方は、思うように人生を謳歌できないし、開発した才能で人々に、うつを軽くするツールをPCゲームの形で提供し、
健全に儲けようとするには、自分のリハビリで落とした力を(自分を信じる力のこと)、最大限使い倒すことで、覚醒に持っていくことが、今の持っている目標だ。
精神科のリハビリテーションには理解できないものがある。大人版の幼稚園のデイケア。
少なくとも、40代の男女に必要か? 私はその世界に依存し、幻聴や幻覚を感じるようになったし、
潜在的な犯罪者がいたので、自分の身を絶えず守ることに大きな疑問を感じ、ある時、その大きな
病院に怖さを感じていたのに、奴隷のように通う自分を発見した。少しの覚醒だった・・・
精神科医療もお世話になり、そこであったドラマで学んだことは多い。いろんな奴がいたし、恋愛もしたし、失恋もしたし、調子いいときには起業を2回して、失敗もしている。
ひとつひとつが私の中の願望を明らかにするために否定してきた思いを無理やり削ぎ落としに大きな存在が使ったのかなと思い直しています。
ブログと言う形で詳細な体験談や、回復のためのツールを紹介し、自分なりに社会貢献しているつもりですが、
世界に奉仕すると言う観点は少しずつ芽生えているようです^^:
感謝^^:
奉仕自体は悪くないし、その言葉も悪くない。だが、そういう方々が私腹を肥やし、住民を絶望させた例にこと欠かない・・・
先日は、打撃を皆様に与えると思い、ある本のタイトルの公表を控えていた。
だが、このサイトの関連サイトで紹介し、随分と皆さんの意識が高いと解かったので、
このサイトでも紹介することにする。
真実への旅 -ファウスト博士の教えー 斉藤啓一 サンマーク出版 1500円+消費税
これが病の回復のためのファイナルウェポンだと感じた。
誰しも病か、人生の問題か、両方を抱えて、おもう人生を生きることが出来ないで、絶望しているか
、その途上にある。
私はお金を稼ぐビジネスと信じたブログアフィリエイトを3つのサイトで展開しているが、
現実に失望し、自分の中の問題に直面せざるえなかった。 ビジネスを始めた動機と言う問題を。
あるブログアフィリエイターはひきこもりだったが、実家に寄生し、惨めな人生をおくっていて、
あるとき、ネットでこの仕事を知り、3年間の苦闘の後、年収1000万円の立場になり、結婚した
とその手の参考書に書いてあった。2003年当時であり、アフィリエイト自体がアメリカから来たから
、本に無い裏技を使ったのではと思っている(今は)。
必死で無資金で起業できないかと悩んでいた矢先、近所の本屋で知ったアフィリエイト。実際は
1000円以下の収益が1回で、最近になって、これは騙されたと思った。まあ、騙す方は悪いが
(恐らく、本で儲けた)、騙された私も悪い。いい勉強期間だったと感謝するのが商売人の道だ^^:
人を無意識に騙すこと自体が病気であり、騙されるのも病気であると私は感じている。
多くの方が知らない心の仕組みがある。医師やスピリチュアルに詳しい方は知っているかもしれない。
自我(エゴ)のことだ。自我は機械的な部分であり、人の心の自動システムである。だから、学習すると無意識に作業が出来る。
問題はこの自我が、私を含めた人達の自我が壊れていて、知識と得て、自力で修復しないなら、
病は一生治らないし、人生はずっと変化しないと言う現実です。
なかなか思うけど、実行できないね と、私や家族は口にする。
この言葉を感じて欲しい。やると思ったらやるだけじゃないか? 実行できないのは何故?
傲慢でただポーズだけの人生で壊れた自我の支配に真の自己がやられていて、底力を瞬間的にしか使えない、進化を放棄した生き方を気づかす、心の目が寝た状態だったから。
つまり、自己機能不全とは無覚醒状態自分のことであり、また、周囲の大半の人達もそうなのだ。
聖書に盲人が盲人を案内して、落とし穴に落ちるとある。 牧師になる修行時代に何度も読み返し
、上司の牧師を嘲笑したものだが、自分もそうだった。人を嘲笑すること自体、悪いことだ。
真実への旅は、衝撃的な体験に基づく、かなり強烈な事例をたくさん載せているし、主人公もうつ病で、ピアニストとして生きることにうまく行かず、ある縁でファウスト博士と言う奇妙な変人に会うことになる。
「自分を救えるのは自分だ」 「依存するな、依存させるな」 は私のモットーと同じだったのは驚きだった・・・
医師に頼りきるほど、うつ病は悪化するし、薬も基本的に毒なので、効力が身体に合えば武器として使う(闘病の)選択をしてきた。
今は一切の余分な対人関係が無い。何故か? 昔からの付き合いのある方々が悪化し、依存症が酷くなったからだ。
私は思い切って、通院先を変え、両方の病院の職員と役場から批判を受けた。だが、理由が正当だったので、規定の手続きを省略し、自分の意思で転院した。
大きな病院がいいとか、わるいとか、そういう問題ではない。うつ病はある意味ギフトで、仕事を正当に休み、人生について考え直す時間を俺にくれた。感謝^^:
人はいづれ、病気から治るために必死に動かないといけない時期が来る。私のように夢がある奴は、
病気や通院や、国の庇護を受けた、抵抗をつけた状態の生き方は、思うように人生を謳歌できないし、開発した才能で人々に、うつを軽くするツールをPCゲームの形で提供し、
健全に儲けようとするには、自分のリハビリで落とした力を(自分を信じる力のこと)、最大限使い倒すことで、覚醒に持っていくことが、今の持っている目標だ。
精神科のリハビリテーションには理解できないものがある。大人版の幼稚園のデイケア。
少なくとも、40代の男女に必要か? 私はその世界に依存し、幻聴や幻覚を感じるようになったし、
潜在的な犯罪者がいたので、自分の身を絶えず守ることに大きな疑問を感じ、ある時、その大きな
病院に怖さを感じていたのに、奴隷のように通う自分を発見した。少しの覚醒だった・・・
精神科医療もお世話になり、そこであったドラマで学んだことは多い。いろんな奴がいたし、恋愛もしたし、失恋もしたし、調子いいときには起業を2回して、失敗もしている。
ひとつひとつが私の中の願望を明らかにするために否定してきた思いを無理やり削ぎ落としに大きな存在が使ったのかなと思い直しています。
ブログと言う形で詳細な体験談や、回復のためのツールを紹介し、自分なりに社会貢献しているつもりですが、
世界に奉仕すると言う観点は少しずつ芽生えているようです^^:
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