★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2010年8月16日月曜日

介護業者の問題点

その時の流れに逆らわないで、自分の視点を保つ。闘病で身に着けた 技術だ^^:

役所にある用事で行ったときに、福祉担当からヘルパーの利用を提案された。(2008年)

他の役所職員もQOLを上げるのはいい事だと私に話した。

では、ヘルパーの援助で私のQOLは上がったか?

食事の手早い作り方や、掃除の仕方を勉強しなおし、この面での援助は役立った。私はその日のうちに試し、使える方法は改良した^^: 元職人で、元専務。私のスキルアップポリシーだ^^:

反面、介護業者の食い物にされた感じがあったし、何故か、新人の教育センターに私の家が使われ、

その業者の介護ポリシーを深く疑った。ヘルパーが来る日に無意識に実家に逃走した事がある・・

介護と言っても軽いレベルだったし、役所も上の命令で、動いていたのかもしれない。

業者にも悪気は無かったかもしれない。だが、不快な体験を多くし、今の介護の在り方に文句を言う人がいてもいいと感じる。

人はどんな状態でも生きる力を持っている。極限状態でも働いて、生きている方々もいる。

私の場合は、精神科医療の現場問題に巻き込まれ、妄信的に通っていたので、体力と精神力の低下があった。

家事ができる俺が家事が出来ない・・・ 何故? 上の理由がそれであり、リハビリで壊れたのだ・・

この矛盾を知って欲しい。そして気づいて欲しい。精神科は患者に薬を与えるのが精一杯で、

職員自体が依存症であると・・・ また、依存症同士の交際は極めて悪く、治すには孤独と自己鍛錬と、

通院先を変える選択と、実直な必死なコミニケーションだけだとっ!!!

また、軒並み、人々が病気になり、それでいて通院しているが成果無いことを事実として知って欲しい。

自分の人生は自力で勉強し、自力で癒し、最低限の援助を受けるだけでいいのだと。

ブログを2年半以上書いてきて、私の連載に関心を持つ方もいる。

まあ、依存されているかも知れない・・・

物理的に距離が取れるからいいが、自己主体性は、現実に体当たりし、痛みと教訓を得て、

自分の体験引き出しにしまい、使う作業の繰り返しだ。

医師は患者を治す援助をするが、万能でもなく、薬すら一時的な援助のツールなのだ。

心身を鍛えて、夢を生きて、笑う人生は自力で築くしかない。

介護を受けて、悪化するケースを知っている。認知症が悪化した人を・・・

自分で家事が出来る人に介護士は不要だ。これが結論です。