★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年4月4日水曜日

ヤマト復活篇 second battle



戦争やそれに巻き込まれている当事者同士はかなり混乱や感情の傷つき体験を互いにする。

それは同意や同意していないで互いに喧嘩するドラマに見えます。

何かの感情的な処理を戦争や喧嘩でしているのではと。

また、それが一番儲かるとの心理とか。俺から見れば独善的であり人の生き方からズレた心理です。

ゲームならたくさんのお金をつぎ込む理由はない。ゲーム機でネット対戦したらずっと費用は落ちる。

それをライブして見せて、ショーに。俺ならそうするかな。(例えばだよ))

何であれ、古い仕方に固執して無駄なお金の浪費をする産業は廃れて欲しい。

世界的な経済の観念がもっと個人的な感情とたくさんの人のダイナミックなドライブで共振し、

創る世界にとその姿を現している。 もう、一個人のお金持ちで事実上の権威者でも流れを変更できない。

インターネットの出現は皮肉だ。 個人を管理しようとしても、個人は自然の代表。ネットは不自然の代表。

両者が合意して、個人をもとの姿に戻す方向に動いている感じがある。

自分の中の時間軸で追体験する記憶と感情

 災害の情報を得るたびに来る記憶と感情。

昨日の自分は感情的な感じがします。災害は昨日起きた。それを追走するかのように去年の台風や、

大震災の映像をTVとか動画で見た記憶をまた再生します。

これが記憶の怖さです。また記憶そのものは中立ですが、どうしても悪く解釈する癖を俺は持っています。

かつて過ごした環境が終末思想漬け世界でした。その環境から出ましたが、映像にならないフラッシュバックを再生します。

アイスブルー

終末思想自体は1000年ごとになんか怖くなってその思想を広めた人や集団がいたようです。

何の因果でそんな繰り返しをしているのか不思議です。

ある本は古代文明が滅んだ時の記憶の再生とか書いていますが、今の感覚で捉えなおすと、

ひとつの見方であり、その作者独自の視点です。俺はそんな悲観的な見方を使用したくない。

単なる情報であり、それを何らかの個人的なことや起きた災害と無理にリンクするパターンを、

自分が持っているだけと割り切ります。

陰謀とかなんとかとありますが、俺にとってこの存在は検知できないし、仮にできてもそのままにします。

大きな流れ、宇宙の流れでみると一瞬のパニックだし、そのパニックが何かのメッセージかもと。

無意識で自分が理解できない行動を人は取ります。良い悪いが無いというのはその行動や情報そのものに、

意味は無いし、捉える観察者サイドの解釈で変化するからです。

段々、物理学的なセンスになっていると感じる自分がいます。