★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2010年9月8日水曜日

自分らしさの前に自分が無い(涙)

タイトルのように感じた時期があり、時折、自己を喪失しているなと感じるときがある。

自分があるとか、私があるとは、精神科医の斉藤 学氏 によると、他人との関係性の中に存在するらしい。

最近、思うところがあって、起業の準備やその他の下準備で、リハビリ仲間とも接触を全く断っていた。

かなりの孤独を感じながらも、このひと夏の疲労で、熱中症になるはで、何とか生き残ることの注力

することになり、自分の中の症状の中核の 共依存症 を全く無視する生き方を貫いていた。

最近、買った本で、斉藤氏と彼の元患者の栗原氏の共著の「ヘンでいい。」は度肝を抜かれた。

この本によれば、事実上、斉藤氏も共依存の患者よろしく、治療者として同じような悩みを抱えて、

私たちアダルトチルドレンの治療に関わっていたのだ。この暴露は栗原氏の作家としてのしつこさと

、がちんこに対決したような対談が効果を上げたのだろうか^^: 読んでいておもしろい^^:

 共依存は新聞にも健康雑誌にも滅多に載ることの無い言葉で、対人関係の癖だ。相手の世話焼きにのめり込み、苦しいのに止めれない・・・

 私は今でもそんな症状を自分の中に発見する。愕然とする。治っていない・・・

イネイブラーとして小さなときから機能してきたから(イネイブラーとは、何かの依存症の人に寄り添い、その依存症を可能にする支援を無意識にする人を指す。 この定義は雅による)

実家に帰るとこの不景気に忙しくなった父を無意識に大声で応援し、持病の治療のほうが先なのに

(父は心臓病を患っている)、現場に押し込む発破をかけてしまった。ついでに依存し、バイトさせてと言ってしまった。

もう、独立して生きているわけだから、建築とは足を洗ったのだから、そんなお願いをする行動に、

隠れた動機で依存したい、いや、共依存したいと言うものを発見し、この中核症状そのものが俺か?

とショックを受けている。 あれほど、境界線を引き(自他の境界線、感情的に自分と相手との間に

ラインを引き、相手の感情から分離するための技術的な意味を持つ用語。 雅による)

実家とは全く別に経済的な援助を受け、生活を自力で回し、会社構築に向けて努力してきたのに、

久しぶりに会ったときに、過度の寂しさが、反動で昔の依存症状を再発してしまった・・・・

 いつになったら、完全に親に依存しないで仕事を取り(建築以外で)、俺らしい自営を始めることを

実感できるのか? まだ、経済面で恵まれていて、十分な余裕があるのに、心の中の子供の寂しさ

は、苦しさは大変な思い出の再生で、死ぬ目にあっているように感じた。私の小学生時代は、

お金持ちから貧乏への転落だったので、毎日が卑屈になる親との関係でのサバイバル。両親が健在なのに、

親は膨大な借金の返済にフル稼働で仕事をし、(両親とも)、事実上、構ってくれる親は存在しなかった。

また、仕事で両親は頭が一杯だから、子供である私の悩みを聴いてくれないし、聞いても、適当な

答えらしきものしか返ってこない。 自営業の息子や娘なら似たようなものだろうな。

思春期前から思春期にきちんとしたサポートを親から得れず、異性については小説で学ぶ以外無かったし、

社会人になって、ある宗教に入信し、集まりや、活動で、嫌でも怖くても同じ年頃の女性と接し、

会話せざる得なくなり、やっと、世間話や宗教内の話で盛り上げることを覚えていく。でも、基本的に

感情的な障害を持つ人の集まりだったので(ACの定義にぴったりはまる、異様な団体)

気持ち悪い空気が蔓延する集会の会場は、終わって、帰るときに平安を得て、宗教の外に神がいると感じたほどだ。

 何かに夢中になり、自分を忘れるのは仕事を成し遂げる上で役立つ。宗教でも実際の仕事でも。

そのために、心が空っぽなら、虚しいと感じるなら、私と同じように他者や仕事に依存することで、

幻想の自分を創り、実際にはアイデンティティーは0か、ほんの少ししかないと気づくだろうか?

「ヘンでいい。」 -「心の病」の患者学  は、この奇妙な関係性の病気の共依存症を新しい観点で見て、安心するのに役立った。私はね^^:

何事も自分なりの自分を自分と相手との関係で発見し、その中のふれあいで才能を発掘し、

生きる元気に才能をドッキングさせていく。 私は書く事が趣味の一つだが、ある主治医からの勧めのジャーナルライティング(日記療法)

が、11年かけて、エッセイやSFに化けた^^: 今でも悪しきにつけ、良しきにつけ、

師匠(こう書くとむかつくが・・・) まあ、反面教師であり、奮戦して生きていた社長さんと言う点に、

今の自分との共通点を見出す。何とも書いていて、気持ち悪い。心の中に住まれているような・・・

そんな感じを思い出した。