★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2010年1月9日土曜日

宗教が嫌いなのに・・・

今日はまだ書きたいようだ。

夕飯そっちのけで書こう。

父の事業の手伝いと、カルト宗教にはまった時期が重なっていた。

人生の疑問を解決したかったが、

この宗教は異常であり、何故か大物ほど、金持ちが多かった・・・

宗教者とプライベートは態度が真逆であり、彼らと付き合って、この宗教に依存する愚かさを知った。

むしろ、無神論者の方がたくさん勉強していたし(お客でいた)、

この方のほうが知恵があり、俺をきちんと批判してくれた。

レベルが低いねと・・・

こっそりと、宗教以外の本を読むようになり(立ち読みで^^:)

世間一般の自己啓発書が面白くなり始めた。

たくさんの作家やセミナー教師が以前からたくさんの人生の改善の方法を書いていた。

なんとなく、今の自分を想像できたのが不思議だった。

宗教をやめてから、人生の話をここで書いている・・・

神を宇宙と置き換えて、科学の本も読むと、ぴたりとはまる。

あれは、科学と宗教の内奥を探る旅だったのかなぁ?

双方に共通のものがあり、原因と結果の法則や、数学的な原理がこの世界を運用している事実が、

たくさんの読書で理解できたし、治療者に話すと大変驚かれた。

温故知新。

その他の格言は、先人の体験からの知恵なのだ。

感謝をしたい^^:

内示 =宇宙からの導き☆=

内示。

この言葉の意味を知るものは数少ないはず。

そうだ、社長になれと・・・

28歳のころ、父の事業を継ぐことに大きな疑問を感じていた。

自分の人生は自分で決めていいはずと、世間知らずな私は感じていた・・・

このまま、収益率の悪い会社の2代目に収まる事は俺の人生なのかと、夕方、仕事の帰りに思ったものだ。

息苦しさと、過剰に神経を使う仕事。お客は大体、大きな会社の偉い方の家が多く、

奥様も神経質な方が多くいた・・・

安アパートで一人暮らしを長くしているが、このアパートの住人と価値観が違う。

会社が潰れないと信じていた方は、今の現実で潰れそうだろうな。

生活保護制度も、簡単には入れない。

私はある偉い方のごり押しで強制的に入れてもらったのだ。(現状は知らないし、地域性もある)

だが、あの時の宇宙からの内示は間違ってはいない。

好きな道で社長になれと。

なると決めて、先輩社長である父に相談したら、笑われた。

「今の3倍は安定して働けないなら無理だよ^^:」

これは業務だけの話であり、父は怖い体験をしながらも営業に走る。

お客に怒られるのはたくさんは無いが、仕事のミスを厳しく指摘するお客様もいた。

大抵は、二人で直すのだが、誠実な姿勢を見せると、お客の態度が変わることがあった。

もう、いいですと・・・

仕事を終えて、帰りのトラックで、現場での反省をする父。

帰っても不眠は当たり前で、毎日3時間しか寝れないで、それでも父は現場に行く。

昼寝とか、他の場所で寝てカバーしたらしい。

母も手厳しい人だ。今は私が母を怒る立場になったが、地獄の責め地獄(ある面だけ)

は、父には相当な試練だったはずだ。

私にもきつかった、だが、現場での頑張りを話すと態度を和らげてくれた^^:

今は、父に将来養ってくれと頼まれている。

昔なら、速攻で断った。

だが、今は少し待ってくれと、あいまいな返事でこの約束を検討している。

人生をより多く生きると、父の感情が解る様になる。

気力が落ち、少し認知症があるようだ。

時折、父の会社の倉庫を整理しに行くが、

父は無理して、余分にバイト代をくれる。

心苦しいが、父は元専務の俺に恩義を感じている。

他にも多くの援助をくれるが、冗談で、

「役員待遇だな^^:」

と喜んで見せると、、

「役員だろう?^^:」

と冗談で返してきた・・・

個人事業に役員?

まあ、OBの間違いだろう・・・

起業の準備中にたくさんの思い出を思い返す作業がある。

過去の自分よりうまく仕事する自分がいる。

相変わらず、怒る父。

しかし、過去の父の助言をただ実行する。

そして、

「これは昔、親父が言ったことだぜ^^:」

と切り返す。

社長も息子は社長になる。

かえるの子はかえる。

書きながら、今のできる自分を褒めている^^:

先人に学ぶことの価値

ゲーマーならよく知っているように、

日本ファルコムは老舗に入る。

ある掲示板では悪口も書いてはいるが、

真偽は作品とサポート体制で判断したほうがいいという気がする。

この今に存在していること自体がすごいのだ。

このブログサイトの動画バーにこの会社の作品のデモムービーが置いてある。

私のモチベーションを上げるためにあるが、

ここへ来る方は、古い作品やそのリメイクに注目して、

元はPC-8801mkIIやPC-98VMとか、後は私が愛用したX1turboなど、

Z80Aや8086コンパチのCPUと今より遅いチップセットでこれほどのゲームを製作した、

プログラマーの手腕を認め無いわけにはいかないだろう。

当時、開発言語自体が大変高く、ドットエディターやマップエディターは社内開発だったはず。

時代は変わり、インターネットやフリーウェアの普及で、開発者の頑張りを知らない世代や、

ゲームが簡単に遊べることで、その価値を値段以下にしてしまうユーザーが多いのは辟易してしまう

。(ゲームを買う人や知人の態度を見てそう感じたし、怒りもした・・・)

今は専門学校もあり、先人が教師になってゲームやマルチメディアの人材を育成している。

だが、社会人としての基本は全然関係ない会社で学んで、働くとはあぞびと違うし、必死であることの現実を知る必要があると感じる。

全然違う畑で、父の事業の後継者にと期待と重圧を感じてすごした20代。

建築関係は、たくさんの困難と苦しみを感じる仕事が多かった。

身体は頑丈になり、声もでかくなり、親方連中と(いわば、社長ばかりだ)

と対等に話す度胸は、この時期に培った。

面白いことに趣味でPCを直すとかそんな話を知り合いの親方から聞いてびっくりしたものだ。

職人親方は、自分で仕事が取れない方が多い。

私も仕事が取れないときは、他の先輩の現場で使って頂いた。日雇いよりも多く働けたり、

連続してあるときは、現場から現場へすべて自費、毎日が緊張したが、充実感もあった。

建築から、PC修理屋を経て、自分の夢を達成すべく、毎日の修練は休みが無い。

人より多く、PCやゲーム、マルチメディアに触れたり、近所のゲーム販売店で、店員に聞く。

心休まるのは、この書き物と、休息で好きな音楽にはまるとき、自然を見るとき・・・

常に資金の調達が頭にあるが、その前にできることがある。

どんな人にも均一なサービスをする習慣を、日常に組み込むことだ。

挨拶は当然、私は散歩が好きなので、ボランティアで道中の困った人助けることを思いつき、

相手のメリットが生じるときのみやっている。

買い物自体が、そのお店への投資だと決めて、それでいて、自分の生活の必要なものを買う。

きっと、起業して成功した方はそんなことを当たり前にしていたのではないか?

失敗は成功への現実的な情報をもたらすと信じて、今日も訓練に励んでいる^^:

感謝。