昔、小学生時代に約4年も母に強制でラボ・パーティーという英語の塾に行かされた。
社交性が無いと言われ、無理やりぶちこまれたような・・・ 見ず知らずの人とダンスしたり(汗)、
ちびっこが英語をスラスラしゃべるのを見て、感動したり・・・
夏にはキャンプがあり、アメリカのクローバーフォーと言う団体のお兄さんたちに遊んでもらった^^:
1980年代の話であり、一生懸命日本語学んでボランティアで日本人の子供の世話をしているアメリカ人のお兄さんとお姉さん。
これが生のアメリカ人との出会いで、この印象で、俺は自分の町のアメリカ人らしき地元の英語の先生に良い印象を持ってしまう。原体験って怖い。
このラボ・パーティーに入っていたおかげで、発音が一般の日本人よりうまい(英語)。
転居した先の中学校で英語の先生に、「発音が良すぎる」と皆の前で怒られた。トラウマ。
強制で学んだ英語を日本人の英語教師の嫉妬で怒られる。 当時はわけがわからんかったな。
先回の起業(2003-2004年)のとき、あるキャッチにつかまり、リンガフォーンという(アイフォーンではない)あのダイアナ妃殿下が入っていた教室に見学に行き、ネイティブにカウンセリングしてもらった。(心理じゃないぞ)
ボキャブラリーが足りないが、他は及第点と言われ、何か嬉しかったような・・・・
勉強しだいでは外人さんと会話できると(英語圏の人)感じ、何かを感じていたな^^¥
確かに日本語よりも英語の方が感情が起きやすい。英語は機械的な雰囲気の(英語圏の人、ごめんね)、心に書き込みやすい言語という印象を私は持つ。 直接的なまるでマシン言のようなニュアンスだ。
日本語は情緒言語で芸術を表しやすい感じがする。アファメーションで英語を使うならと考えるが
、
それでOK
とか
そのままGO!!!
と日本語と英語のハイブリットは、結構、我々も日常で使っていないだろうか?