★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年3月4日金曜日

salamander x68000 version

SEGA SPACE HARRIER stage1-5 [X68000 games]

SHARP X68000 CM 「夢の続きを語ろうよ」 1987年

Star Cruiser [X68000 games]

X68000版 Wanderers from Ys (Ys3) part1

KONAMI GRADIUS II opening [X68000 games]

X1:Gradius Soundtrack

SHARP X1F CM

X1のFM音源で「Don't say lazy」を作ってみた。

ゼビウスみたいなゲーム

 

 26年前のアメリカのコモドールのマシン、マックスマシンでこのようなことをしたいと無謀にもチャレンジしたことを思い出す。

 軽快さが身の上のこの「ゼビウスみたいなゲーム」とBGMのマッチングがいい。

 いい刺激を受け、しばし楽しんだ^^¥

 俺もこつこつとWindows上でのゲームをもう一度勉強しなおしながら研究している。

 もう一度、Windowsの流儀を知ろうと。

 楽しみの精神とやり抜くパワーの両立を目指そう。

ディーヴァ X1 - ニルヴァーナの試練

Ys1 - Open Your Heart (PSG)

X1のGRADIUSを遊んでみた。~STAGE1~

x1music.wmv

 

このマシンでプログラミングに目覚め、趣味で24年も(中断も含む)やってきた。


このマシンでも泣いたが、PC/ATも泣かせてくれる。


基本はそんなには変わらないと感じるが、知らないテクノロジーには0からの学習が要る。


恐ろしく勉強を求める世界だと、今になって気づく。 ゆっくりでいい^^¥


じっくりと楽しもうと感じた。
 

SHARP X1 ゼビウス XEVIOUS エリア16 プレイ 懐かし パソコン

SHARP X1のHu-BASICを懐かしむ

ここまでのまとめ   (1980年代のアメリカンパワー ))

 まったくすごいぜと感じるが、その影響を受けて日本のPC関連の産業も急成長したことは触れておく。

俺たち日本人はアメリカを先輩として見てきたし、その間は見習いだから、「はい^^。」と言っていた。

だが、この強力なゴーイング・マイウェイは私たち日本人も見習うべきだと感じる。


1980年代に俺は縁あってシャープのX1で趣味でプログラムを組むようになる。最初はHu-BASIC。Oh MZ!を高校在学中に買い、クラスメイトの大半がPC-98やPC-88mkIISRが多い中で、

俺は公園でのジョギングとZ80とX1上でのマシン語プログラミングに明け暮れた。だが、最低限の学校の勉強はした。 県立とは言え実習がメインで単位がある。レポートだけは落としたことが無い。

うーむ、10代に起こした奇跡だろう^^¥ この時の自分が大好きだな^^¥

おっと、また俺の過去体験にいっちまったよ。 40にもなると過去の話をしたくなるもんだよ。(嘘120%))

つまり、アメリカのオタクどもがこんだけWindowsをごり押しで世界中に普及させてしまった。

何で、発明家の多い(趣味で発明をしている人を含む)日本人が日本語の文化と国民性を反映させたOSもしくは、新パラダイムを世界に示さないのか疑問を感じる。


日本の得意技はヒュージョンだ。いろんな国のいいとこどりをし、日本流にカスタマイズし、それをずっと精錬し、日本独自の文化に変容させていく。 そんな素養をきっと多くの日本人が先祖からうけづいでいるに違いにない。


ずっと昔から日本の文化はヨーロッパやその国々の芸術家の注目を浴び、浮世絵はゴッホなんかも取り寄せて勉強した。(美術の教科書にあったな。これは記憶から引っ張り出した)


俺も何か発明し、日本の文化として世界にインターネットを使って広めたいものがある。OS?

違う。OS以上ゲーム以下のPC-PLAYING-SYSTEMだ。コードネームはふるーつぱんち。


フルーツポンチは甘い。だが、創る人の創作芸術であり、素人では真似しか出来ない。それ位に、

甘いんだけど厳しいとの現実的な教訓を俺はこの喫茶店の普遍的なくいものに見出す。


それをもっとおもしろく、確実に明文化したのが、「ふるーつぱんち」。別に他の雑誌とかのタイトルの影響は受けていないと信じる。(ここは明言を避けよう・・・)


思いのほか難航している。そして、まだ、先輩のカーネルプログラムをいじるだけで、何故かやめた。きっと、タイミングがあるのだろう。はっきしいって、このOS関連のようなプログラムはかなりの量の勉強と実験と失敗が要る。

大須観音にその手の本をたくさん扱う本屋がある。俺が16歳からずっと行っている本屋だ。

今日、何となく大須へ行き、その本屋で改めてx86アセンブラやOS関連の入門書を立ち読みし、

俺の幻想を打ち砕いた。 舐めて掛かると絶対やばい。 だから、趣味レベルで長い時間かけようと思った。

一番続くのは趣味レベルだ。それを仕事にするなら挫折する。楽しみが無い、ただのお金儲けは、

人生の意味を殺す。 人生は自分の才能を楽しんでこそ、自分を生きる^^¥


1980年代に俺や俺のような男やもしくは女が趣味でプログラムを組んでいただろうと俺は気づいた。アメリカさんよ。尊敬はする。だが、同じような連中が日本にもいて、

あの時代のようなセンスを各自取り戻し、今の快適な環境で独自のOSやそれを超えるものを俺以外にもアイデアであれ抱えていたらどうなると感じる?


勝ち負けに関係なく、それを自分のために遊び、余興でネットに出し、LINUX以外にすごいOSがいきなり出る可能性は0ではないのだよ^^¥


日本人にもアメリカンパワーに似た開発スピリットがあると俺は書いておきたい。ビジネスは下手?

勉強好きな日本人にはそんな下手を越える方法がある。成功するまでやるという地道力が。

Windows 7 Review

 

 

初心者ならメーカー製のマシンを新品で買うほうが良い。

また、評判のいい店で買うほうがいい。

いきなりお金は持っていくな。

下見してからでもいい。

友人や親戚のマシンでもいじれば尚いい。


衝動買いは厳禁。 

PCは人生を変えるだけに恋人と同列にして欲しいものだよ・・・
 

Installing Windows 98SE on Vista Virtual PC

Mac OS 8 - Multitasking - 1996

 

神戸の出張から帰還した頃(1996年ごろ))

弟が大学の生協でマックを買っていた。


確かにワンボタンマウスと使いやすさは魅力だった。

その後、貪るように実家に帰省したときはMACPOWERを読むようになる。

その当時、俺はX68kの愛好者で神戸の出張にまで持ち込みエクセル互換のソフトで経理していた・・・

あんまり意味ナシだったが、ブラインドタッチの練習にはなったな。

なつかしのWindows95再現ムービー [ Microsoft Windows 95 Operating System ]



いかにもコンピューターって感じだろう?

最初はこんなおもちゃみたいで、変に詳しいと尊敬か変人扱い(職場でのカミングアウトはしなかったが、あるエライサンに何故かばれた。どうもこいつもだったらしい)

俺はWindows98SEをiMac上でVituarPCで動かす遊びから徐々にWin陣営に入る。

2002年にiMacが壊れ、知り合いの社長にPCを教えるときから完全にWIn派になる。

マックは知らん人が多すぎた・・・

今では中古屋でたまに触るけど、独特な雰囲気意外は単なるおもちゃ扱いしかできん。

OS X も触ったが、何か異質だよな。

もっと、PCしろと言いたい。

Birth of the Microsoft DOS

PC/ATってしってか?

PC/AT(ウィキペディア)


もし、ITで飯を食いたいならこれくらいは普通に読んでいるよな?


実際には古いマシンを修理しないとわからないもんだぜ^^;


初心者はばらさないこと。



DOS/Vって知ってるかい?



 

皆はWindowsがパソコンだと思い込んでいただろう^^:

実は真実はDOS/Vマシンと言う。

その上でWindowsやLinuxというOS(オペレーティング・システム、キーボード、マウスの処理とかをするプログラムたち、感謝してやれよ))

今のPCの基本はIBMが創り、それが発展してPC/ATになった。

いわゆる互換機の登場。

IBMの規格があけっぴろげに各メーカーに流され、

いろんな事情の下でその発展系生まれ、今でも改良や更なる進化をメーカーの切磋琢磨で起きている。


マシン語を勉強するとわかるが、x86が基本であり、最初のブートはリアルモードで動く。


厳密には違うかもしれないが、MS-DOS全盛の動きをし、(ブートローダーでカーネルをメインメモリーにロードするまで)

その後、プロテクトモードに変えて、ちゃんと今の時代のスペックで動くようにとPCは頑張る。


毎度、MSーDOS => Windowsみたいな動きをしている。





 

このx86とPC/ATの苦労も考えてマシンをいじるんだぞ。




夜中に・・・

 誰だい?

こんな夜更けに俺のブログを見ている奴は・・・


ちゃんと寝ないと美容の敵だろうが・・・


インスピレーションで書く。


つまり、主観を超えて書くぞ。


感じるままに生きるなら感じる自分らしさ100%の人生がこの瞬間に生まれるだろう。


いつまでも誰かの奴隷と言う幻想は捨て、自分の感情をライブして生きるんだよ。



病気を取り巻く現状も積極的な変化が生じている。


本屋さんへ足を運んでご覧。

薬ナシで病気が治るとかその手の本が目白押しだ^^¥


回復と遂げて書いている人がたくさんいる^^¥


いつまでも病気を自分の金看板にしないと俺は感じる。


もう、病気のうつ病すら宣伝のキャッチフレーズに過ぎない。


だってさあ、いやじゃん。


だってさあ、精神障害3級なんて、賞状もらえないよ。


病気の症状を聞いて喜ぶのはお医者様だけだろう?


俺はもっぱらブロガーとしての自慢を主治医に話し、主治医は立場を忘れて聞いているよ^^¥


後で、「薬は前と同じ?」ってやってる。


本当に俺って報告しかしてないな。

うちの母は忙しい。起業家だから。・・・・ 寂しいもんだよ。


それで主治医が母くらいの年齢で真面目で聞き上手なので、


母親の代わりしてもらってんの^^¥


悲しいまでに起業家は起業家を生み出す。


また、親類が起業体験者が圧倒多数だから、そんな影響も刷り込まれているな。


でも、起業は自分のために選んだ道。

IT関係も、創作も、PCゲームの製作も。

ネットで3ブログ+1ホームページ+隠しホームページが1.

まだあったような・・・


それくらいネットでの活動は長い。


中断を入れると足掛け9年目だな^^¥


ネットで発言を書くと落着くのはやはりおしゃべりを一方的にできるからか?


普段、しゃべらない生活が多い。


まあ、実家では母が閉口するくらいしゃべるけどねぇ・・・


感情を出さないと死んでしまう人種らしい(笑)。


お休みを7日までと書いて、お休みならボランティアで書く。

どっかの医者と同じでやんの、俺。


マジやばい。 こんな言葉を日常で言っているし、もう、俺の年齢は偽装年齢だな^^¥


昭和世代とは書いておこう。


感情年齢は10代のまま生きている^^:


ブログして若くなったような感じ。


ブログってタイムマシンだったのか?