★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年3月4日金曜日

ここまでのまとめ   (1980年代のアメリカンパワー ))

 まったくすごいぜと感じるが、その影響を受けて日本のPC関連の産業も急成長したことは触れておく。

俺たち日本人はアメリカを先輩として見てきたし、その間は見習いだから、「はい^^。」と言っていた。

だが、この強力なゴーイング・マイウェイは私たち日本人も見習うべきだと感じる。


1980年代に俺は縁あってシャープのX1で趣味でプログラムを組むようになる。最初はHu-BASIC。Oh MZ!を高校在学中に買い、クラスメイトの大半がPC-98やPC-88mkIISRが多い中で、

俺は公園でのジョギングとZ80とX1上でのマシン語プログラミングに明け暮れた。だが、最低限の学校の勉強はした。 県立とは言え実習がメインで単位がある。レポートだけは落としたことが無い。

うーむ、10代に起こした奇跡だろう^^¥ この時の自分が大好きだな^^¥

おっと、また俺の過去体験にいっちまったよ。 40にもなると過去の話をしたくなるもんだよ。(嘘120%))

つまり、アメリカのオタクどもがこんだけWindowsをごり押しで世界中に普及させてしまった。

何で、発明家の多い(趣味で発明をしている人を含む)日本人が日本語の文化と国民性を反映させたOSもしくは、新パラダイムを世界に示さないのか疑問を感じる。


日本の得意技はヒュージョンだ。いろんな国のいいとこどりをし、日本流にカスタマイズし、それをずっと精錬し、日本独自の文化に変容させていく。 そんな素養をきっと多くの日本人が先祖からうけづいでいるに違いにない。


ずっと昔から日本の文化はヨーロッパやその国々の芸術家の注目を浴び、浮世絵はゴッホなんかも取り寄せて勉強した。(美術の教科書にあったな。これは記憶から引っ張り出した)


俺も何か発明し、日本の文化として世界にインターネットを使って広めたいものがある。OS?

違う。OS以上ゲーム以下のPC-PLAYING-SYSTEMだ。コードネームはふるーつぱんち。


フルーツポンチは甘い。だが、創る人の創作芸術であり、素人では真似しか出来ない。それ位に、

甘いんだけど厳しいとの現実的な教訓を俺はこの喫茶店の普遍的なくいものに見出す。


それをもっとおもしろく、確実に明文化したのが、「ふるーつぱんち」。別に他の雑誌とかのタイトルの影響は受けていないと信じる。(ここは明言を避けよう・・・)


思いのほか難航している。そして、まだ、先輩のカーネルプログラムをいじるだけで、何故かやめた。きっと、タイミングがあるのだろう。はっきしいって、このOS関連のようなプログラムはかなりの量の勉強と実験と失敗が要る。

大須観音にその手の本をたくさん扱う本屋がある。俺が16歳からずっと行っている本屋だ。

今日、何となく大須へ行き、その本屋で改めてx86アセンブラやOS関連の入門書を立ち読みし、

俺の幻想を打ち砕いた。 舐めて掛かると絶対やばい。 だから、趣味レベルで長い時間かけようと思った。

一番続くのは趣味レベルだ。それを仕事にするなら挫折する。楽しみが無い、ただのお金儲けは、

人生の意味を殺す。 人生は自分の才能を楽しんでこそ、自分を生きる^^¥


1980年代に俺や俺のような男やもしくは女が趣味でプログラムを組んでいただろうと俺は気づいた。アメリカさんよ。尊敬はする。だが、同じような連中が日本にもいて、

あの時代のようなセンスを各自取り戻し、今の快適な環境で独自のOSやそれを超えるものを俺以外にもアイデアであれ抱えていたらどうなると感じる?


勝ち負けに関係なく、それを自分のために遊び、余興でネットに出し、LINUX以外にすごいOSがいきなり出る可能性は0ではないのだよ^^¥


日本人にもアメリカンパワーに似た開発スピリットがあると俺は書いておきたい。ビジネスは下手?

勉強好きな日本人にはそんな下手を越える方法がある。成功するまでやるという地道力が。