★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年5月23日水曜日

自立と共生

 知識と体験は違う。

今までの体験を元に俺は時々、自己認識を点検する。

自己洞察や自己認識。

これもズレや一般社会との乖離とか作家は生じやすいからだ。

妄想と現実は違う。

俺が無理にでも散歩に行き、知っている人に自分から話すのは感情機能の保全以上の理由がある。

真剣にカウンセラーを目指していた時期があり、1999年から2008年はかなりきつい修行の時だった。

感情のケアをまず主体性でやる。

日記や創作はあるワークブックの提案であった。

生産性度外視で作るのが創作と。

自尊心や自分史を思い出す上ではかなり有効です。ですが、幼少期や学生時代のトラウマも出る。

なので、このワークは心理の専門家の指導の下でやれとあったな^^

自分の感情を感じるには一人の時間が要る。多すぎると妄想過多になるし。すごく変になる。

この自分の異常を自分で察知して酷い場合は俺は主治医や家族に吐き出す。

これが自立と共生の基本システムと俺は認知している。

散歩すると自分を持っている人と無い人と俺は見てしまう。これ自体危ない判断なんだが。

自分の内面すら完璧な把握を瞑想を会得してもできない。何が再生して自分を動かすかはわからない。

人にはブラックボックスがある。自己理解が出来ない部分だ。俺はそれでいいと感じる。

個人に戻るときと対人関係で個人を出すときに、感情や人格の調整が起きる。

両方とも自分だが、相手があると気を使い、遠慮がちになるが、近頃は近所のおばあさんの方が

自分を出すなと話すと感じてしまう。ああ、いかん。

今でもこっそりと常連の店の簡単なゴミ拾いをする。見つかる場合もあるが・・まあいい^^

自分を感じ、閃きを信じて相手や社会やボランティアをして、自立と共生を今、生きている。