★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2013年7月28日日曜日

子供を出す 2013

浄化が進んでか(もったいぶった理由だ)

素直さが戻り、日常で遊ぶ。

いきなりもの真似してしまう。

その時に周りを見ない。真似る対照しか見えない。

それを目撃され・・・

家に帰っていい感じのバイブレーションが。共振だ。

子供に戻ると日常がアトラクションになる。

大人の常識が毎日破壊されている。

バシャールに関して俺も揺れる。

確かに先入観が壊れることが起きる。勝手に自分の内面で。

インナーチャイルドが出やすい。

この状態はすごくエネルギーが出る。

今までの悩みが霧散する。

背負っていたゾウのような悩み。

この世界で楽々と生きたら行き場所が無いとの悩み。

無意識に遊びを実行するので(大人の俺がいない)

止めようがない。

また、だれも止めない、咎めない。

不思議だ。

ずっと以前からインナーチャイルドワークをしていたし、そのときはためらいがあった。

損得勘定なしにらくがきとか、

思いつくままに文章や創作を時折していた。

始めたのが1999年。

弟から本を借りて、アダルトチルドレンだと自覚して、ワークブックを書い、

その指示通りにしていた。

言ってみれば、このブログサイトはインナーチャイルドワークで得たノリやスキルを使っている。

それを人前にさらすのは勇気がいると思ったが、淡々とやり続けると勇気なんて要らないことがわかる。

何度も昔の自分を出して驚かれた記憶が出る。怖い。でもクラスメイトは驚くけど、その後笑った。

俺はなんか悪いことをしたと思った。でも違うの。いきなり隠していたおかしなというか面白いところが出てしまったのだ。

そんな感じの状態がいきなり本人である俺を差し置いて出る。

場所を選ばない。

子供だ。

今年に入ってのびのびな自分がいる。

子供だ。

この仕事自体が、今までの俺の中の自分を出す。

感じたままに書き殴る。

すると衝動がONになる。

憤りと感じていたものがかなり違うものになっていた。

自分を出したいとの欲求。

生存欲求。これは俺自身がかみ殺していた。

しんどい環境が多かったが、実家を出て17年。さまざまな立場で一人暮らしを遊んでいる。

最初は解放感。その後孤独感。社会適応に悩んだ時期。その後、入院で基本を実地で教わり、

簡単に個人の問題に介入しなくなった。

自分は自分。人は人。

感情的な境界線を入院中に徹底した。

でないと、本当に混乱するし、混乱するとそれに付けこむ変な奴にたばこやお金を狙われた。

精神科の入院とはこんなものだ。

看護士に泣きつくと、「きっぱりとあの人を拒絶しないさい。来るな! ひとりになりたい!と相手に向かってはっきりといいなさい!」

獄中のプロのような感じでした。

退院後、それを日常でやることになります。

リハビリでその病院のデイケアに行きました。本当は行きたくなかった。医師の指示。

1年半いて、体調が悪くなり、通院先を強引に変えた。

デイケアのない小さなクリニックへ。

で、今は行ってません。

薬も要りません。

その代り、ダイレクトなショックを体で毎日吸収。自己責任感バリバリです。

もっとも最悪な環境を以前のアパートで3年ちょっと忍耐して、創意工夫で境界線を引いたり、

散歩しまくって、物理的に離れたりして、その自分を守る選択が自尊心を強めた。

自尊心が強くなると環境に依存しなくなります。依存して精神がおかしくなっても、どっかそれを見ている自分がいます。

これが自分があるの状態です。

皆がアダルトチルドレンの知識もワークもしていないし、しても大半は挫折します。

特に男性は顕著で、女性のほうが淡々としますね。

毎日、感情を感じて生きる。ああ、緊張した、ああ、怖い、この人から距離を取ろうとか。

選択を自由にスムースにできるようになると、自分を守ることが簡単になります。

感情のセンスを上げるのが毎日の日記です。

それは誰に見せる必要もないし、それを見て、自分のセンサーの具合を見るのです。

いい感じ。

いい気分。

後はそれを悪くとってしまう自分との折り合いです。

悪くとったな。


あああ、そうね。

自由すぎるかな?

ちょっと恥ずかしいのポーズ。

遠慮。

これで日本人らしさを見せよう(演技)

で、日本人の社会でのびのびと子供らしさを出します。