★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年4月3日火曜日

学級崩壊 in 東京(1995年)  出張先で見た昔の現実

 積算の研修に東京へ出張していた頃の話。

うつが重いが、責任も重いと感じ、上司の事実上の命令で東京へ。

他にもプレイベートの責任もあり(宗教関係。現在は無宗教)、

二重の重荷を背負い、新幹線で憂鬱な気分を味わった。

研修は社長の知り合いの個人教授であり、社長は親戚の方。

同族会社の神戸進出のために俺は父と一緒に阪神大震災の被害を復興させる任務に就いた感じがあった。

出張で止まったホテルでは、そこの経営者夫婦が仲が悪い。見ていて気分が悪くなった。

神経科には通ってはいたが、一向に治る気配がない。あきらめと自暴自棄と仕事に追い込むことで、

つまり仕事中毒を味わうことで生きがいではないマヤカシな生き方を選んでいた。

宗教関係者の友人と研修の合間に東京の下町のあるところを散歩した。

「この学校、学級崩壊なんですって」と宗教の信者のおばさんたちが話している。

立ち止まって、大きな中学らしき(記憶があいまいなのだ)建物には生気が無い。

学校崩壊の間違いではと心の中で感じた。

幸いか不幸か俺は実家を出てひとり暮らしだが、何故か運命のいたずらか学校のそばで引っ越し先が見つかる。

教育と喧嘩しろとでも天は言うのか?

もしくは中和?

シンクロ?

ハーモニクス?

答えはいづれ現れる。

うちの近所の学校は結構、先生も生徒も快活だ。

見ていて気持ちいい。

いや、住んで10年だが、生まれ変わったかのように雰囲気が変わった。

学校再生か?

そんな現象と東京のこの学校を比較するのは無理があるかもしれないが、

感情は今、昔であった学校が元気になり(学校も人格がある。東京都も人格がある)

そこの先生と生徒が情熱に燃えることを想像するのだ。