★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年9月27日火曜日

感謝と生き方

 どこぞの宗教のようなことばかり書いているが、それを離れたからこそ今の感じの記事が書ける。

根幹的な人生の話は牧師より長いことひとつのことをやっている職人の親方のが説得力があると言う。

昔、心酔していた作家の本にあった。

キリスト教を辞めて数年になる。脱会して自由になったら何の拘束も無いのでアダルトビデオみまくりとか(2003年くらい

)とか世間の男子なら何で?という感じだった。

その宗教があまりにも馬鹿で男女のセックスを意図的か殺すような感じがしたし、自慰まで制限と言うかだめなんて・・・

その道から脱却しても、深い心の傷と洗脳は残るので、医療関係者に相談し、最後はカウンセラーまで掛かった。

医療関係者の反応は様々だったけど、馬鹿にしたのはある大きな病院のカウンセラーだったな。

それ以来、俺はカウンセラーには相談しない。主治医に簡単に相談する。しかもお袋くらいの主治医だ。

何回か性的なことを相談したが、瞑想してから落ち着かせて話すので、俺はお笑いの誰かみたいに話すらしい。

先生は結構笑いながら聞く。 歳が近い女医ならアウトだろう。母に年齢が近く、なおかつ、起業家だったので、

安心感を得やすかった。でも・・・ ここは割愛。

辛い体験をカルトでして、脱会し、また、宗教者のようなことをしている。

ブログで。

はっきしいって、余計なことではと感じるし、足を洗おうかと感じる。

PCゲームは・・・・ 過去の反動なのだろうか?

起業に関し、メンターらしき人がいた。でも、何か崇拝していたようで、これでは宗教時代の癖のままだと感じた。

つまり依存だ。

最近、その新書を売ってきた。50円にしかならなかった。丁寧に扱っていたのに。

宇宙人関係の本は、「個人思想の本なので、査定できません」と言われた。そこで処分してもらった。


細かなプロセスを通っている。

この世間で自分を出して楽々と生きるノウハウを求めて。

宗教や父の起業を立ち上げの援助をしたときはしんどいがふたつだった。


今は自分の事業と父の事業の(月一だけ)手伝いをしている。大変だけど、俺は淡々といろいと感じてやっている。

面白いのは宗教時代ほどお金の固執しない。もちろんしんどいなら上乗せをお願いする。

書いていて、いろいろな思いがあるが、

感謝は生き方の中にあり、人は何かで思い出す。

思い出す。

そんだけだ。


だから、感謝しろっていうのはおかしいのだ。