★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年7月28日木曜日

くだらないことの価値

 情報メディアがしでかした間違いに(学校の教育も含めて)

生活周辺に転がっているくだらないことに注意を向けない。

どうなるだろう?

俺は幸い、10代はあまりTVを見なかった。ゲーオタでプログラグミングオタクだったので、

”ゲーム開発”に必要ないと感じていたのだ。あまりにも視野が狭かった・・・・うそうそ。

意外にTVに夢中でそれをしゃべりあっこしている人のほうが世間が見えていなかった。


俺はちゃりで通学だったので、学校へ行くのにたくさんの”障害”をクリアーしないといけなかった。

結構都会の学校だったので、自動車の量が半端じゃない。それを全部縫うようにかわす。

信号をまともに守るなら遅刻は必至だ。


そうやって、通学がゲームになっていたなあと^^:


必然的にゲーム以外に近所の大きな公園を毎日2周するという趣味ができ、

あのときの体力は帰宅部でありながらどっかの運動部並みの体力を維持していたな。

やはり、中学が運動部だったのが残るらしく、毎日、”自主トレ”やっていたなあ。


振り返ると、自分には当たり前でくだらないことだ。


でも、他人に話すと びっくりする。

そして、わざわざ、週刊誌の芸能人のゴシップやエロねたを読んでも何も癒されない。

これが本当のくだらないだ。


芸能人って何のためにいるのだろう?


批判したいというより、学生時代から引きずっている素朴な疑問だ。


きっと、やっている本人が一番わかるのだろう。


ブログなんてごくありふれた感があり、他人のブログを見なくなって久しいが、


更新が適当というか、無いように保証が無いものが多かったような。


俺のは単なるしゃべりなので、間違いも多くある。

だから何かの根拠や証拠とかに使うのは間違いだ。

たんなるくだらないおしゃべりを書いているだけだ。


すごくくだらない。 でも自己表現できたよと自分を褒めるだけのものと自己価値は自認している。


ライフワークは他人の承認を必要としない。

当然だよ。

自己承認とはやっていて嫌いでもどっか楽しいと感じていることだから。今ここで、この瞬間に。


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