もうどうなんでしょう。
2008年1月4日。楽天でうつからの回復を記録し公開するという暴挙を開始。
以外にもアクセス数があった。ポータルサイトが有名だったからその更新のPINGで皆さんは
更新を知ることができた。
実際には練習用に2007年の11月にFC2の雅’s執筆ライブっ!!!(旧:ワンダラー まさのブログ、まさの流転人生ライブっ!!!)
でこつこつと練習をつみ、自分を商売の道へ戻そうと楽天で頑張り始めた。
各プロバイダーによりアフィリエイトの設定や細かい点の違いで苦労し、最大6個のブログと癒し系HP
をひとつ持っていたことがある。(このHPは休眠状態でひっそりとミスチルの動画のみ公開している)
体調との兼ね合いや、いろんな事件に巻き込まれ(何故か本格的に意識のクリーニングをした後に
立て続けに起き、たくさんの無駄な考えを破壊された。怖かった)
幸せなお金持ちの体質をじっくりと身に付けさせられている。より大きな存在から。
それに幸せとお金持ちに何の関係も無いと感じる。これは本田健さん自身も著書で書いている。
幸せは自分の中の幸せの元を自分の中に確認できたときに気づく、気づきだ。
富は今生きていると感じる感情とかおかれている立場に関係なく、手持ちのものを愛することと関係があると感じる。
また、幸せと恋愛と結婚に直接の関係は無い。並行して存在する世界であり、
それを大きく囲って、幸せと感じるならよりいっそうの幸せへと拡大するというものだ。
ブロガーとして書いていると、節目で再発が起きた。
それに甘んじて書いたり、しばらく休んでから復帰して書いたりとしたが、
その間に体質が変わり、また季節向けの体に変化するだけと気づき、
うつの再発と勘違いした自分が恥ずかしい。
まあ、一定の作業量を淡々と期限を決めないで続けるのだから大変なのは事実だ。
また、嫌いだったのにある時点で一番醍醐味を感じる作業に見方が変わったりと、
ブログ観が変化した。
体質の変わり目の前に見えない里程標がある。
それは確かめようが無い。見えないし感じもしない。
壁とも言うが・・・
それに当たりながら不思議な方法で壁が変化してトレーニングツールになったり、
壁自体が応援してくれたりと、自分の限界という壁は、実は内面のバリアーでそれを許すと、
次のドアが勝手に開く。いや、もう中にいたりする。
創作はそんな不思議な体験が起きる。
受身ではないが能動かつ受身である。
自己受容の世界。
それと同時に他己の存在を自己の中に許す世界だ。
私は適当に仕事と距離を取ったり、ダンスをしたり、まったく無視したりしてここまできた。
応援よろしく。
あそびでやってますので、
さぼりもあります。
心配ご無用。
単に違うことを追いかけているだけですから(もう、子供なんです・・・)
2008年1月4日。楽天でうつからの回復を記録し公開するという暴挙を開始。
以外にもアクセス数があった。ポータルサイトが有名だったからその更新のPINGで皆さんは
更新を知ることができた。
実際には練習用に2007年の11月にFC2の雅’s執筆ライブっ!!!(旧:ワンダラー まさのブログ、まさの流転人生ライブっ!!!)
でこつこつと練習をつみ、自分を商売の道へ戻そうと楽天で頑張り始めた。
各プロバイダーによりアフィリエイトの設定や細かい点の違いで苦労し、最大6個のブログと癒し系HP
をひとつ持っていたことがある。(このHPは休眠状態でひっそりとミスチルの動画のみ公開している)
体調との兼ね合いや、いろんな事件に巻き込まれ(何故か本格的に意識のクリーニングをした後に
立て続けに起き、たくさんの無駄な考えを破壊された。怖かった)
幸せなお金持ちの体質をじっくりと身に付けさせられている。より大きな存在から。
それに幸せとお金持ちに何の関係も無いと感じる。これは本田健さん自身も著書で書いている。
幸せは自分の中の幸せの元を自分の中に確認できたときに気づく、気づきだ。
富は今生きていると感じる感情とかおかれている立場に関係なく、手持ちのものを愛することと関係があると感じる。
また、幸せと恋愛と結婚に直接の関係は無い。並行して存在する世界であり、
それを大きく囲って、幸せと感じるならよりいっそうの幸せへと拡大するというものだ。
ブロガーとして書いていると、節目で再発が起きた。
それに甘んじて書いたり、しばらく休んでから復帰して書いたりとしたが、
その間に体質が変わり、また季節向けの体に変化するだけと気づき、
うつの再発と勘違いした自分が恥ずかしい。
まあ、一定の作業量を淡々と期限を決めないで続けるのだから大変なのは事実だ。
また、嫌いだったのにある時点で一番醍醐味を感じる作業に見方が変わったりと、
ブログ観が変化した。
体質の変わり目の前に見えない里程標がある。
それは確かめようが無い。見えないし感じもしない。
壁とも言うが・・・
それに当たりながら不思議な方法で壁が変化してトレーニングツールになったり、
壁自体が応援してくれたりと、自分の限界という壁は、実は内面のバリアーでそれを許すと、
次のドアが勝手に開く。いや、もう中にいたりする。
創作はそんな不思議な体験が起きる。
受身ではないが能動かつ受身である。
自己受容の世界。
それと同時に他己の存在を自己の中に許す世界だ。
私は適当に仕事と距離を取ったり、ダンスをしたり、まったく無視したりしてここまできた。
応援よろしく。
あそびでやってますので、
さぼりもあります。
心配ご無用。
単に違うことを追いかけているだけですから(もう、子供なんです・・・)