★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年5月20日日曜日

役場と協調関係で起業がバイトとして受け入れられた - 脱生活保護その1 -

 先回、PC修理屋を借金で回していた(2004年8月まで)。

借金にしては小さいが、客が二人。両方社長。だが、リピーターにならず。

6社のサラ金で、借金。アビバに通い、インストラクター1級を取ろうとした。

全部で68万円。10万頭金、後月賦。

必死だった。今で言うと元カノだが、東京にいて遠距離恋愛も。

最終的にこいつに就職させて頼まれ、人の言い俺は応じた(今思い出すと自爆だ)。

まともに就職したことが無い小さな会社の社長令嬢。実際、この親父は何億もの借金でデザイン会社

を自己破産、どっかの営業マンをしていた。母親は近所が下町で名所があったので、うまくないそば屋

を営んでいた。店も持ち家もボロボロで、思わず、「格安で修理してやるよ」と言ったが、「いいですと」

この女性もその実家も感情的に自己破産していて、父親がこの女性である娘を裁判にかけていた。

それなのに父親はこの俺の元カノに甘えていた。アダルトチルドレンで言うと共依存X共依存。

俺は毎日日記を書いていたし、感情の捌け口を無かったが、もっと前の彼女はもっと変だったので、

体験的に冷静さを保てた。いや、無理に。一応、2004年当時はむちゃくちゃな形であれ、

屋号のある会社を持っていたし、名古屋市に古い屋号は登録してある。


最終的にローンを払えず、知人に相談していたが、俺の現状がおかしくなっているのを知ると、

自分の情報網で俺の実態を掴み(元伊藤忠商事の部長さんでした。JRにヘッドハンティングされ、

そこで新幹線のダイヤを組む仕事(実際に見せてもらった)、その後、無理な起業して自動車会社に

鉄を売る仕事をしていたが、心臓病で入退院を繰り返し、最後、入院後に生活保護。その後、

回復しかけたが、最後も最後まで商社の癖が抜けず、俺を含め弟、俺の家族全体、近所の障害者

を巻き込み、救世主を気取りながら、無意識なのか癖か詐欺を小さなものから大きなものまでしていた。

俺は役場に顔が利くとの面だけ利用し、力がつくまで使いました。俺も悪人ですね^^¥)

この悪い大物のごり押しで(多分、昔の顔を使ったと感じます)、簡単に入れない生活保護に投げ込まれ、

俺は最初は困窮しかけた。 借金して得た生活費のが上。借金を整理し、自己破産で借金はちゃら

になったが(奇跡的になった。裁判所へ行った大半は通らず、暗い顔をしていた)

俺は確かに運がいい。自己破産も通る予感があったし。

社会的な違犯も無いし、スピード違犯と駐車違反くらいで、すぐに罰金は払うほうだったので、

後は父が真面目で1億もの借金を自分の事業とバイト、そして母がバイト2つ掛け持ちで、

30年かけて返した。銀行の信用がついた。

つまり、今は知らないが、生活保護にはそういう面の総合的な調査が入る。俺はちゃんとその場に

いて、例の大物知人もいた(正気だったころ)。

生活保護制度はもともとばりばり働いて稼いでいた人には相当なカウンターパンチになる。

20代は実家の会社の専務として日当、8000円から12000円稼いでいた。

生活保護は地域差があるが、ぎりぎり生活できるくらい。俺はその中から1年半くらい、

自己破産の手数料をある弁護士協会に郵便局から払った。

これがお金に関して事業に関して、社会を舐めた馬鹿な俺に対する償いだったのだ。

払い終えてから、楽になったし、真面目に制度を利用していろいろオプションを病院(ケースワーカー
作業療法士、医師からとか)、役場の福祉担当の方とも自分の担当意外とトイレで知り合い^^。

付加的な情報が来た。家事ができないときとかお金の管理がまずくなったときは、役所の備えを使い、

公的扶助と役所に対する偏見を壊すやさしい助けばかり来た。

家事もお金の管理も大変中でも自力でできる確信ができれから、両方の責任者に会い、

丁寧に説明しつつ、ばっさりと縁を切った。これは会社のトップの交渉の練習と見ていたがうまくいった。

生活保護制度は有難い。時間とお金をくれた。でも、この助けを得て、闘病したい元社長もいるだろう。

俺が自力で稼ぐようになり(もちろん、担当との話し合いで収益報告を入ったら伝える。約束^^)

つまり、制度の力と生活保護担当の力や役所、他の方々の応援を受けながら、俺自身を変容させ



生活保護の費用の会社運用費(4780円 ブロードバンド代)と若干の設備運営費(1000円未満)

をきちんと保護費の中から取り分け(封筒にいれる)、後は普通に生活し、朝方5時から8時ないし、

10時、基本土日なし(疲れていたら、臨時で休む)で、年末までに自社製品の販売で、

生活保護費を超える計画だ。

無謀だと言う人もいるだろう。だが、挑戦は見ている人、応援者に励みを与える。ちょうどマラソンランナーが、

大変な経緯を通してマラソンランナーなり、失意のうちに優勝できなくても家族や応援者は拍手するではないか?

今はそんなマラソンのランナーのような気持ちであり、2012年5月17日は、ネットによる起業実験から、

ネットと現実での営利活動のスタートの日なのだ。なぜか大家さんがアパートを壊すので、

年内に出て欲しいと頭を下げに来た日と重なるシンクロはいったい何なのだろう?

脱生活保護と、新作で成功したいので、応援をお願いします。