★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年9月11日日曜日

自分は何を感じているだろうか?

 私の場合は恐れを感じます。

同時に無気力になります。自分で自分の状態を観察するために鏡となる本を読み、その刺激に応じた感情とか気づきを、

ノートに日記として書いています。


 毎日のように救急車が走り、人々が怯えた状態で暮らし、店員は頑張って笑顔見せている。

怯えが本当で笑顔は繕いでしょう・・・


 3.11のあの地震。そして日本列島が飲み込まれたような台風。被災者もまたTVなどでそのニュースを見た人も打撃を受けています。


 この打撃で無気力や絶望感を抱く。その基礎に私の場合、幼稚園のときに父が頑張って作ったダイヤブロックをのロケット

の模型を破壊する行為を思い出しました。小さな私にとってはそれが世界ですから自分の世界を粉々にされたのです・・・


世界に対し恐れがあるのはそんな幼少期の体験によります。 まだ怖い。ちゃんと和解したのにフラッシュバックが起きる

。後は意識の人工的な操作を疑うしかない。ずっと前に統合失調症と同じ体験をした。

その当時崇拝していた神様と直接対話するという幻視であり、これは裏の科学者なら人工的な波動を右脳に浴びせて、

私の持つ、超然たる存在のイメージを操作できるという・・・


 私の場合は神様は数学であったり物理学であったり、原理だから(今の現在は)、異性関係の妄想を強引に喚起する。

もうアダルトビデオは断ち切ったので、異性との関係は変に歪んだ形にならない。自分の意志で買ったアダルトビデオを

処分すると、断ち切ったと潜在意識に宣言になる。


 エロサイトを見てあれしたいと感じても、見ても凍りつく。押し付けがましいエロ(わいせつ)は真実ではないので、

よくもまあ、こんな極端な一部の人の性趣向を売りつけるものだなと、その思考の無さに辟易する・・・


人は自然に性欲を感じ、その充足を感じ、行動するか、選択してから行動する。一般的には恋愛と呼ばれる。


 自分の感じ方が極端で、何かも問題を起こしたくなったら(レイプとか強姦とか、盗み、他の反社会的なこと)

自分の感じ方が外部の操作ではないかと疑って見よう。常に思考することが宗教のような感覚になる。

宗教は文字通り道具になる。宗教は洗脳者の道具に過ぎないので、宗教にいてものめり込まず、指導者や、


おばチャン的な指導者(よく面倒を見て、うるさいくらい注意する女性)からは距離をとろう。


 いろんな要素が組み合わさり、洗脳が機能する。意図的に独立をし、私が自己主体でブログを書いているのは、

 この世界の洗脳を嫌い、その感覚を書いて、出すことで、この世界の洗脳がごく普通のことの中に隠れているとの

 明確なメッセージを皆さんに伝えたいのだ。