★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年8月23日火曜日

幸せを持っていると確認する

 確か、高校の倫理の授業でいろんな哲学者の話を学んだ。

何故かPCやゲームしか興味の無い俺も、家に帰って教科書を読み返したくらいだ。

当時はゲームするかゲームを作り上げるか、そしてそういう会社に就職するかしか頭に無かったのに。

母親が宗教オタクだった影響か、母はどこから仕入れた宗教か哲学かわからん教えをよく俺に説いた

。今でもなんかしてるな。そういう話が来たとき、物書きの強みで傾聴してから、

「それは面白い考えだけど、聞きたくないな。一応、俺、物書きだぜ^^(にやり)」

と反論することが習慣だ。言葉シールドっ!!!


幸せっていろんな考え方がある。

幸せとお金を持っていることは関係がないとか、

幸せだからお金が来るとか・・・

俺はやはり、誰かに学んだことをしゃべるか伝えるのが幸せなのだろう。

一番ワクワクすることに目が向き、動くとき、平安がある。

不安があるのは当たり前だ。

「不安が無いのは死人だけ(昔世話になった主治医の話)」

不安や恐れ、怒りや憤り、嫌な感情や、暗い気持ち。 恐らくコレを感じつつ生きることが現実で、

この痛い要素があるから嬉しいとか気持ちいいとか楽しいとかの感情の対比ができ、

余計楽しいのだろう^^¥

俺も最近まで感情の抑圧にはまっていた。苦難を喜びとする母や宗教の影響のせいだ。

マゾ的な忍耐は実は忍耐ではない。

西尾和美氏の「今日一日のアファンメーション」に忍耐の項目がある。

積極的な希望を抱き、これからこの現状を脱出できる理由のあるアクティブな状態

これは記憶から出ないので自分が抱くイメージを書いてみた。

受身ではなく能動的に現状を甘んじ、その中で希望の理由や受難の意味を知り、

苦しいけど、終わるなあと感じることが忍耐なんだ。


実際、過去の試練を振り返ると積極的に受け入れると(いじめとか)、試練が無くなる事が多かった

。 大抵は次の人生のステージ前に何かの形で、受け入れがたいものが来る。


人生の中で何回もあるけど、クリアーできるから来る。逃げると、その後が苦しくなる。ずっと。


立場が上がるとか、立場が責任のある立場になる前とか、来る、余分な考えやネガティブな感情を

洞察し、活用するためにその訓練が抜き打ちテストで来る。


意識を癒してから余計来るようになった。これは体験しないと書けない事実だ。


また、生きていることがトンでもなく奇跡的な現象であると感謝しろと来る。

数学的に地球に人として存在し、生きながらえる確立は天文学的な数字になる。

何分の一とかじゃない。

びっくりすうような低い確率なのだ。

人は野生のようなサバイバルは無い。

でも、野生より酷いサバイバルがある。


環境が変わるのでそれに応じて、アイデアを生み出し、実行し、だめなら再選択。

トライアンドエラーを繰り返し、体に覚えさせていく。現場仕事の感覚だ。

そう、地上という現場で生存する仕事、いや、戦いを実際はずっとしているのだ。

でも、慣れると無意識にクリアーしていく。

無意識がほとんどオートマチックで処理しているから。

感謝。

幸せはこの瞬間に生きている、いや大きな自分(人によっては大自然、神)に愛され、

今の現場で、自分らしさを回復し、キープする仕事を、また、自分のなりたいものになる体験を、

味わい、無常の喜びがあると知る体験を思い出すことにあるのだ。