★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2013年7月11日木曜日

自分がある

結構シンプルなんですが。

もがいてもがいてもがいて、それから出るのが自分。

置かれている環境でもがくことがある。

自分のしていることがうまくいかないでもがくことがある。

もがくもがくもがく。

で、その時の最新の自分が自分。

出た後、また変化する。

ある時点での自分はこんな風とはいえる。言った後に変化。

変化する生き物だと俺は思う。


そんな人間の集まりの家族。


皆、もがくもがくもがく。

親は子供が病気だ病気だ病気だともがく。

病気の子供は親がうつになったうつになったうつになったともがく。

そして、どっちもいい親(子供)じゃないと責める。


日記に書いたり、またその手の本を図書館で読んで(借りない)、

家について日記。

出るわんさか。

機能不全がどーのこーの。

煩い。

変化が基本の人に成長も刺激も何かで得てドカーン。

子供が何かで目が覚めてドカーン <=見る親は納得

                         もしくは、俺の本来の姿はこれかと気づく。


ドカーン、ドカーン、ドカーン

自分があるよ、俺はこうだよ、そして、成功したいんだよ。

 =>どっかの先生の真似で終わり、内的なイメージはそれを嫌っている。

 だって、違うから。


ドカーン、ドカーン、ドカーン、ズガガン。

光であり、本質であり、いつも回転する存在。

それが光であり、自己。

己を超えろ?

己は常に己を勝手に超える。

努力はそれを否定し、否認する。

何か成し遂げた後に失敗。

でその仕事を投げ出す。泣く。叫ぶ。何か溺れる。

 その中でもがき、嫌だ、こんなの俺の人生じゃない。

  その後、出る。


  したいことが。

  まとまったエッセンスどーん。

  この答えは本当に素直に考えた時の自分の答えだ。