★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2013年7月11日木曜日

ペースメイク

暑いと頭が飛びがちだ。

このところ勘違いがひどい。

認識がおかしくなるし、書いている俺自身も俺じゃない気がする。

立ち直るために削除ワークを断行している。

クリーニングという方法であり、

この暑さや何かの刺激で苦悶するが(PTSD的なもの))

このPTSDという言葉が嫌なんだよ。

ごくふつうは日本では味わないものだし、とらえ方でなるそうだ。


学校はその種の環境が好きな人は苦しくてもいい面を見て行ける。

俺のように家で工作が天国というタイプは、どうしてとか行きたくないのに行った体験として記憶する。

今なんか夏休みの気分が起き、自主的な日誌をPCで書いて、ブログで晒すことで完結みたいな、

そんな気分がある。

学校は好きな教科があるときは天国だったが、(理科。天文だったら天国だ))

他に体育とかで水泳とか(今でも少ししか泳げない))

無いといいなとか、嘘ついてさぼるとか(あまりできないよな?))

必死で嫌いな学習を拒んだ思い出がある。

作文居残りとか。

その俺が文章を書いて晒しているのだから、

俺を変えた、日記療法は奇跡だな。

長いことやると皆さんの勘違いが起きる。

先生とか。

俺は淡々とペースメイクのために書いている。

先生というのはお金を取って講演する人をいうのだ。

俺はネットの事業家してもがく青年であり、

たらふく儲けた成功者が先生だろう。有体に言えば。


生きる

何かして

自己表現して

俺は先生ではない。

偉い?

そう勘違いするが、(長いこと読んできた方とかだろうな))

俺自身もたくさん本を読んできたが、ある時に卒業を体験する。

その先生の姿が作品を超えて見えて(散歩中とか苦しみでもがいた後に見える))

ああ。

もういいや。

この分野でこの方は先生かもしれないが、俺とは無縁の方でした。

そうやって、勝手に線引きが起きる。


完璧なんてない。


また、エゴで書いたとか(俺もだいぶ減ったとは思うが、あると思う))

人気取りのために書いたとか(実際の本を書いて食う人は必死だ))

自己表現して伝える表現者は無料か有料かで悩む。

有料でやるならチャンネルがいる。

すでに機能しているチャンネルが。

俺のように勝手にブログしていると無料で機能しているので(また、そのイメージで見られる))

有料で本はとかは今の俺には相当な苦しみになってしまう。

苦行して儲けは俺の信念に反する。


流れがあり、必要な選択で何かして対価をもらうならいいけど、

不自然に頑張って、書いて、出して、当たりましたは俺はどうも嫌なんだ。

過去生とか言うと言いわけか、俺にはそんなトラウマな体験が今の時代で学生時代に、

過去生で相当あった気がする。

だから、作家ではあるけど、講演に行ったりとかしたりとかはダメだ。

ちゃんとそれが対消滅できればいいけど、まだその作業でしんどい。

多くあるのだ。トラウマが。

ごめんなさい。

俺は俺なりにしたいことがあり、ブログはそのひとつだ。

個人的な事情があり、移動は不可能。

ネットで済ませているのは個人的な事情による。

ペースメイク

俺は基本を守る。