★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年5月28日月曜日

KD2-開発トラウマ

 これが一番怖いことだ。

無料版でいえ、DLカウンターで23本記録。

これでやっとフリーウェアーで実績を残せた。

だが、学生時代のX1を使ったSTGの開発でフルアセンブラ(Hu-BASICの先頭のIOCSコールでI/O

を制御。スクロールルーチンは実際にインサイドX1という本にサンプルがあり、ブロック転送でやっていた。

X1はこのマシンの強みでテキスト画面をPCGという機能で8X8、16X16などキャラクタエディター(添付されていた)で、

簡単なキャラクタを描けた。それをびっしりしく仕方でスクロール。グラフィック画面より数倍はやい。

内部ではテキスト扱い。その代わり8ドットスクロール。俺は縦スクロールと、8方向スクロールを開発した。

原作が残っていたら(処分したと思う)、X1のエミュレーターでお見せ出来たろうな。恥ずかしいけど。

Oh!Mz,Oh!X、X1の専門書、S-OS、その上で動くアセンブラー(名前は忘れた)、EDITOR、トレイサー

デバッガ。 全部ダンプリストから打った。 そして、土日なのに(レポートは2本は週中2本なので、

土日フリー) その時間を主に今で言う開発に充てた。 孤独な時間であり、たまにベーマガの特別な掲載、

X1にシャープ純正のFM音源ボード(買いましたよ。スピーカーとソフトとか付いていた)

OPMはいい音がしたし、ベーマガのベーシック上でOPMを使うためのプログラムは、

自作キャラ(どっかの戦士キャラに似ていた。後はレッドドラゴン。全部、PCGで作った)

そのタイマンゲームを立ち上げる前に某社のFM音源のBGMのデータを打ち込んで、

オープニングにし、その後戦士とレッドドラゴンのタイマンが始まる。

当時2人ほど、X1ユーザーがいて、一人は88に寝返った。俺は知人からX1turboモデル20を貰いうけ、

テープとは縁を切っていた。 

その後、同じことしていた人に俺の作った戦士vsレッドドラゴン(オープニングだけBGM有り)

を欲しいというので上げた。一番最初で最後のX1における今で言うフリーウェアー頒布だろう。

たった1本。

手間賃で言うなら1000円は欲しかったね^^ いろいろと世話になったのでプレゼントした。

学生だし、売るという発想が無かった。

今はどうだろう。

一番の理想はお金が無くても生活が出来る生き方が他の貨幣経済依存の生きかたに加わり、

物々交換か、作品と食料品の交換。人の相談に載ったら食料品に交換(実家では父とはそうだ)

豊かさがお金だけであると言う見方をぶち壊したい。

だってさあ、最終的にお金は服や米、食料品に代える。その間にお金があるのだ。

極端な話、電気代とか家賃とかはお金で払うが、他の一切の生活品を1年分とか貰えるなら、

生活費は激減する。

その分を俺は開発費とかプライベートに分けたり、毎日やっている1円貯金(資本金と書いたビンに)

入れることが出来る。

お金がすべてと俺は信じていた。実際は近所で家賃を払うとたまにお菓子が返ってくる^^¥

また、適当であれ、誰かと何か挨拶するとかもありがたい。無視されないし。

長いことひとつの場所にいると、動いてボランティアすると近所の人に覚えてもらえる。

そんなこんなで、俺はちょっと顔の知られたお兄さんとして認識されている。

仕事の面は、伏せている。

強いて言うなら、実家の手伝いと言う(部分的には月一度、倉庫整理をしているし)


開発が始まり、技術的にどんずまりがきた。 今度は違う角度でちゃんと動くソースを見て、

部分的なプログラムを組むとかして、開発者の流儀を見出したい(涙)。