★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年3月8日木曜日

感じることを自分で禁じない

 感じるままに生きるとはチャレンジです。

1999年以降、そんな教育を通院先で受け、指導してくれた人々すらチャレンジで、よく混乱していました。

感性を開く作業が必要であり、自分の開花を安全に行う環境が要ります。開花して芯が出来て、

この変化の多い時代に感性を感じて、対応を選択できます。

一番難解なのは恐怖心をどう捉えるかです。自分は家での作業が多いので、最低限しか家を出ません。

作業中は夢中なので、近所の動向にあまり関心を持ちません。以前はありましたが、おかしくても、

一定のパターンのおかしさのループなので感じますがスルーすることができるようになりました。

深いところを感じ、そことのリンクで生きているとの実感は、その上にある人の思想や過去のトラウマ、他に自分で歪めて覚えたこと、素直さに反してしてしまったことなど、

本来の自分の上にたくさんの残骸を載せています。これが理解できないと心の中の自己の反応を理解できません。

私自身もパラドックスがあり、自己を理解しようとして、一定時間無感覚になることがあります。

ブログ以外にノートの何ページも自分のパラドックスを書いて表現して、それから買い物に行って、

感情の変化というか歪みをまた感じ、この時代に自己を感じ、守る困難さを感じます。

自己認識とか自己認知とか、楽に生きれる範囲まで直ったはずなんですが、まわりの動きに心を閉ざし、

防衛で心を凍らせることが多いです。だから、知っている人に逢っても認識できず、後で、「あっ、

あの人だ^^:(この瞬間に感情も解凍される)」。自分はこの時代の家の外の世界に相当な恐怖心を

持っているらしい。最低限、アファメーションとか自己を強めて外へ出る感じが多いし、うまくいかない

こともある。傷つく覚悟で、ノンシルードで感じるままに外出しないと、外の世界が(今の)理解できない。

近所の騒音は相変わらず、親子で喧嘩とわかりますが、それ以外の場所は結構な変化があります。

また、元気な人と元気が無い人の差が歴然で、そのすべてをそのままにして、自分の感じ方もそのままにしてと、

曲芸をし、この世界の変動をそのままに、自己変化をそのままにと、結構大変な試みをしています。

こう書いているとすごいことをしていると感じますが、どんな専門家のやり方も自然の流れには勝てません。

すべてをやって、「どーでもいいっ!!!(怒り)」と口で言って怒って、やっと俺はリセットできます。

感じることを禁じない。

ですが、俺はあなたに強制は出来ません。その状態で生きるのにいいのなら、それは単に違いです

。あるがまま。俺も自分のやりやすい感じで今を生きます。

俺には俺なりのサバイバル法があり、

人はいろいろと実地や体感で得た、その人独自のサバイバル法があるでしょう。

俺はこうしています。上のタイトルはあくまでもタイトルで、サーチエンジンで掛かりやすい感じに書いただけ。

感じ方は違う。対処も違う。 それでいい。 ごく当たり前のことを書くのは、混乱した人の多数見るので、

俺の余計なお世話なんです。合わないとか怒りを感じるならこの情報を捨ててかまいません。