★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年8月21日日曜日

自己肯定

 だいぶ誤解されている言葉だな。

俺も誤解して病状が悪化、人生が止まり、そのときは死にそうになった。

投薬であまりミスしない当時の主治医が新薬にこだわり、俺はパーキンソン症状になった。

悲惨だったよ。

2006年7月。ある心療内科でのこと。

俺は完全にデイケアで浮いていた。地元の人が集中してデイケアに来ていたし、まったりというより、

共依存状態アンドエンメッシュ。病院であっていいのか?俺はひたすらこの病院とスタッフ全員に怒り

を感じていた。吐き出しようが無く(担当がこの共依存を肯定する人だった。間違った意味で)

完全にデイケアで孤立していた。行くたびに孤独と絶望を感じていたな。マジ死にたかった・・・


俺の無意識がある時点ではじけ、今思うと次の病院へいく絶好の状態を俺の人生の呼び込んだと思う。

生活保護2年目。働けない。彼女無し。絶望だろう?

そう感じ、必死でご飯を作り、お金の管理をし、月1万円のタンス預金をしていた。

コレが入院のこまごまとした必要品の購入に使うことになるけど、予想だにしなかった。

確かにタンス預金はよくないとされる。

だが書いておこう。人生は絶望すると絶望に応じた人生になる。

だが、保険として預金はいいのだ。これは役所の偉い人に聞かれたとしても俺はそう答える。

生活保護に入れてくれた恩師は内緒を提案していた。

俺は破ったな。

それで一時期、役所の担当とその部署が混乱したのは知っている。

あの当時、そういう形でしか気持ちを示せなかった。

生活保護で楽でしょ? ある方はそう言う。

楽なわけ無いでしょ?

担当になる人に人生を左右されるのよ。

俺は主治医でも俺の病状を(当時は)正確に掴めず、うつ病として診断を下したことを知っている。


最近になり宗教内での出来事によるPTSD症状といってくれた。


話が反れた。

自分を絶望に追い込む癖は昔からあるというより、この宗教での価値観が大きい。

それを自己肯定したらどうなる?

お金を安定して持ちながら死ぬ目に会う。

宗教やっている人が絶望し、自殺が多いのもうなずける。

何でもかんでもOKではないんです。

脱会した後が本当の回復。いや、生き地獄です。

信頼したものが間違いで、その間違いの尺度で心理学を使い、自分を呪い、親を呪い、社会を拒絶した。

これがカルトの傷跡なのです。

その代わり、人が知らない自分の真実を知り、こうやって書いています。

きれいに見える裏側は実は毒で満ちています。

人のためになになにするは、狂信的なら危ないものなのです。俺は見事にはまっていた。


その毒から自分で解毒する方法を現存する方法から選び、自力で構成し、後は主治医やケースワーカーに相談という感じできました。

2008年まではね。

それ以後は、今まで学んだ解毒メソッドを公開し、分かち合い、読者に選択してもらうことにし、

闘病というか解毒体験を公開して、一緒に治ろうとしました。


どれくらいの方にどんな影響が及んだかはわかりません。

わかるのは自分の意識。自己観察。

感情的な激しさは増し、でも、本来の自由気ままな自分はあります。

自己を確認できると気持ちが外に向きます。

花を見たり。

気を触ったり。


世の中のきれいに気づき、今までの毒は知る必要が無かった体験だったと知ります。

ですが、いろんな体験が今後の人生の洞察の資料となり、俺はインスピレーションのソースからの

再合成でその毒をワクチンとして自分に使い、人々に無償で配っているのです。

目に見える文字情報として。


宗教は必要ですか?

誰か指導者が必要ですか?

相談相手は時には必要でしょう。

でも、違う観点の自分だと知りましょう。

自分の人生の指導は感じる感情や体験の中の痛い体験の中にあるのです。

それを今、生かし、次のステージへ上がりましょう。

意識ジャンプ。