★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年2月2日水曜日

最近の感じ、思うこと

 今月はだまで(マージャン用語、メンバーには暗黙で何かを推し進めること)

でいろんな活動を休止する予定でいた。そう思って気を抜くと、ブログが遊びに見えて・・・

だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー

て、やっちゃいました。

ブロガーはもう仕事見ていないらしい。自慢に見えたらすいません。

これが手作業の連続なんですが、両手を使うので左脳も右脳も同時に使います。ブラインドタッチって

奴。結構、タイピングソフトで鍛えていたので早いのですが、いづれたくさん両手を使うことをするとの

心の底からのインスピレーション(気づきとメッセージ(じぶんへ))があったからです。

日記も散歩もトイレ掃除、家事も3年も続けると不思議な心境と気づきにあふれます。

苦行が実は苦行ではなく、実は遊びの前の段階であり、細かな技術をこつこつと身に付けないとあそべないとのことだったのです。

上で上げたリハビリテーションプログラムは人生の基礎ばかりなので(精神修行の意味合いで)

家事ができないのは単身でも結婚していても、自分の人生の基礎を確立していないとの自覚を持って欲しいなと一部の男女に言いたいです。

母が家事で俺にしつけを施したことが原因ではありますが、この異状にまでしつけにこだわり、

まだ豊かだったときにおぼっちゃまとしてかなりの訓練を実家や塾で覚えたのは今では幸いだと感じますーー\\。

教育ママは確かにしつこいし、その反動で家事に怒りや反抗心を思い出すかもしれませんが、

改めて、自分のために家事をするなら、その簡単さと面白さに開花するかのうせいを私たちは持っています。

わたしはぼっちゃんから貧乏人の子供に一気に転落した人生がありますが、かえって良かった。

苦労したぼんぼんと言われたほうがすっきりするのです。


いろんな意味で母にしても父にしても今の俺の才能をどん底まで否定し、反骨精神を抱く相手として立ち塞がり、俺は異常なまでにずぶとくなる環境で成長したのでした。

最悪こそ、最高の自分の土台を築くチャンスであり、学校はそれを鍛える。社会は尋常でなく、

生きる技術すべてを試され、起業家になれるかの環境を一定の時期まで私に提供したのです。

今は何があっても、自分の人生と違うなあと感じ、それを許し、相手の理不尽を可能にします。

自分は自分。相手は相手。 相手の暴走を許したほうが危害が無いのです。