★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2014年1月20日月曜日

才能と過去生

久しぶりにエッセイを書きます。

自分は何故か精神科に通っていたときに

すごい痛みを感じました。

またPTSD症状が治ったり悪化したりを繰り返しました。

その当時はアダルトチルドレンの知識を本で持っていた。

この本に怒りを感じていた。

通った先の精神科医もそれだけで捉えないようにと診察で俺に釘を刺した。

一時、デイケアにあるワークブックにはまり見ていた職員はあまりやり過ぎないようにと言った。

何が何でも治りたかった。

今でも痛みがある。

仕事をするときにぶりかえす。

このエッセイも痛みの再生と同時に書いています。

重い

やる気がでない

封印した記憶が出る

不快な体験だ

感情的なブレ

ある人の貧乏なさま

すぐに仕事でお金が入るとその日に使い切ってしまう

過去生で出会った人

俺を助けた人が逆に酷い生活をしていた

俺は必死で助ける

肉体労働を終え、着替え、車を飛ばした

今で言う訪問看護

ボランティアでしていた(当時は知識なんかない))

苦痛を感じ、無気力を感じ、この人が実家に来て食事をたかる

家族のブーイングで俺はこの人物にお金を7万円渡し、縁を切った


ありがとう

重くて動かないやる気のない本人

自分で変化しない人を援助しても無駄との記憶

馬鹿野郎

さようなら

もう十分だ

7年も時間を費やした結果

慢性疲労に陥る

その後

仕事をやめ

実家から一人暮らしに移行

苦渋のバイト二つ生活

苦学生でないのに苦学生生活をしていた

やがて

体を完全に壊した後

実家の起業を応援したことが父の高い評価となり

1年分の生活費を得意別な手当てとして得る

その後

1回目の起業をし、できない相手にPCを教えていた

もし

この駄目な奴らが過去生の相手なら

その駄目を援助したのも

因果なのか

ありがとう

クリーニングすると

起業家の才能と人生の洞察と

スポンサー欲しいとの願いがある

これが本音

ああ

適切なことなのか

それとも負けの選択なのか

ふさわしいか

また援助を得るだけのことをしたのか?

援助を受けるに足る人物か?

それがかなり不安

依存ー非依存

自立ー相手も自立し問題がない人

そんなフレーズが歩いて出ていた