★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年12月23日金曜日

絶望という名の変化

まったく例外処理だ。

俺は正月明けまではこのブログを更新しないと決めたのに。


つい、禁忌の宇宙人関連の本を立ち読みし、(その前にマイクの本を読んだのが誤算だ)

俺は本を読むとまわりの状況を度外視できる才能を持っている。自慢だ^^:

集中というかある種のトランスを起こし、それが自尊心を守るシールドを生むらしい。実感では。

本の虫なのだ。


まだ、過去との清算をやっている。年内にクリアーしたい。

この今の人生のドラマは多くの心の傷を俺に与えた。だが、ある精神科医は「全部、お前の選択だろ?」と言った。

俺はこいつの言い方が嫌いだ。

暗にだが、こんな本音を俺にやんわりと診察室でいいやがった。客に対する礼儀って知らないのかな。

建築関係でもぞんざいはあるが、職人は絶対に客には丁寧だぞ。言い方も。そして、簡単に客を敵にする選択をしない。


俺は大学へ行って、大会社就職、そして、結婚という生き方を学生時代に疑問を感じつつ、その道を通過しようとした。

その道の”被害者”は社会人なってお客や知人、友人、かつての恋人とその家族という現象で見て、感じることができた。

この神話の実践者ばかりであり、その影響は絶望感を増すという、怖い証拠を俺に突きつけた。


絶望。

シッタカブッタという漫画があるが、あれはやんわりと正してくれる。目が点なる漫画だ。

希望があるから絶望するのだろう? ブッタラシキ豚はそう言い放つ。

それで終わり。補足説明なし。


終末思想(もうすべて終わるのだから好きなことしてもいい。破壊もあり)は身勝手な思想と感じるが、その実践をカルトでやり、

その悪影響がまだある。これをクリアーしたい。

でも、この終末思想に希望を持った俺でもあり、本当に裁く立場は俺には無いのだ。

終末思想論者の俺がこの思想集団を裁くこと自体が自己破壊だと気づく。


やっていることが正当のようで異常なのだ。

このパラドックスが俺。これを正したいと無謀な挑戦をするという選択をしてきた。


数千年も支配し、何回も多分、再生した思想なのだろう。

それを受け入れないと、自己変容が起きない。


信じがたいが、悪も仕事があるらしい。

悪の力で(その関係者は無意識にその力を自分たちの利益のためにやる)

大局的に今ある不要がこの輩により処分される。


感情的に見るなら俺はこいつらの一味になる。

だが、その上の見方で自分の立ち位置を再選択できる。

実行力もある。

これは多くの人のベーシック力であり、俺はたまたま代表者的な発言をしています。


偉いから来るのか? いや、白羽の矢。やれと、先祖らしき人のメッセージを2009年から感じ、俺が代弁しているのさ。


多分、新時代に入るし、多くの過去の精神思想が浄化され、個人の意思と、集団の意思の浄化、

後地球との関係も浄化清算に途上にある。


俺自身がこう書くのも変なのだが、やはり思想家の道にいるらしい。


だから一家言はある。

だが、俺だけがというのは><。


あなたの意見はどうだ?

それを生き方にフィードバックして下さい。

表現方法は問わないし、やるやらないもどうでもいい。


単にこんなアホがいる知ってくれ。