チャレンジと聞いて、進研ゼミを思い出す。受験時代にあのおかげで塾に行かず、県立で一番難しい工業高校にほぼ一番で受かった。(自主採点なので何ともいえないが、平均5教科98点、面接は
ばっちし。先生が腰を抜かすようなことを発言。でも落ちなかった。常軌を逸したというより、
坂本竜馬をなぜ尊敬しているかを淡々と話した。いやスピーチだったと思うなあ。
担当の面接官のあのびっくりし感心した顔を思い出す。ほぼ受かったなと感じた瞬間だった・・・
この受験当時も、入学してからもひどいうつがずっとあったし、PCと自然、走ること、後、ひとめぼれした女子以外は何の興味が無かった。
当時の同人ゲーム(電気科だけにその種オタクがわんさかいた)に何気なく関心を示そうとしたが、
生理的な嫌悪を抱き、俺はある女性作家の恋愛の世界が現実だったので、
男性に一方的に虐められる女子のいる世界は異常で境界線を引きたい世界だった。
今でこそ、大須観音のある昔からのショップで堂々と同人のエロゲーを販売しているが、
店長の奇声を聞く度に、「この人はあっちの世界と現実の間というよりあっちで固定し、この商売で
とりあえず生きているのだな^^:」と最近は同情もしない。観察し、そんな生き方のいくつく先を見ている。
反対もしない。賛成もしない。中立であり、単に観察を書いている。
どんなことにも意味は無いらしい。全部自分が決めている。
だからそんなタイプと見ている。意味は0だ。
精神世界も宗教(キリスト教のかなり極端な世界のアホ集団)もずっぽりはまったが、
まわりの観察者は、「ああ、危なそう。適当に聞いて逃げよう」
ある人は、資料だけもらって、居留守でさようなら。
ある人は一回聞いて、後はずっと連絡が付かなかった。
そう、こんだけ、昔の俺の行動に対して複数の選択肢と、感情的な行動がある。
でも、俺は宗教の入信勧誘のプロとして13年も働き、成功はほぼ0だった。
この狂ったカルトを辞めて、今は懸命に自分の道を創っている。
どうしてもしゃべりかたが、昔の講演者調の朗らかモードに勝手にスイッチしてしまうのが悲しい。
電話はてきめんだ。
自動でスイッチが入るし、数回で相手の特徴を無意識に感じ、相手のための引き出しをすーっと
開く。
このあたりになるとプロのある意味伝道の技なので、病気とも言えなし、単に技術となる。
講演者は相手に不安を与える要因を普通は観察で知り、相手の表情を見て大体の心境を知る。
話す筋は複数あるので、話しながら、時には関係ない面白い話に変えて(食事の面白いネタが私は多い)
相手の感情を見る。相手のことを実際に会って数回はなしていれば、電話でもある程度は可能だ。
自閉で人に心が開けないという障害は、何故か宗教の講演者予備軍の訓練で壊され、
精神科の実際のもっと楽しい自分の趣味の話をする訓練はもっと、”趣味”の講演者にした^^¥
自閉でも話せる分野があるだろう?
俺は音楽や歌、ゲーム、本、後は最近の体験が軸となる。
振り返れば、あなたも日記に以外に少しであれ話題を書くことができると知ることができるだろう^^: