人の本質は創造者です。
多くの人が知るキリスト教の神とかユダヤ教の神とかとは違います。
日記をずっと書いていると、勝手に手が動くときがあります。自動書記かと思った。
何か創作しているときもそうだけど、散歩するとアイデアが映像で浮かぶんだ。
創作の道に入り早、3年半。当初はブログを書くこと。後は散歩とトイレ掃除を毎日やった。
ブログもお金儲けというか事業を立ち上げる練習というような位置づけ。真剣にブログアフィリエイトしていなかった。
このブログアフィリエイトを続けているうちに、うつの再発が何回も来た。体調が落ちたら休む、そしてまた立ち上がって書くを繰り返した。
アクセス数は最初の立ち上げたブログのプロバイダーの敷居が低かったのでアクセスを得るのは簡単だった。(2008年当初)
問題は売り上げが上がらない(クリック数は50とかあった)ことだった。
今思うと、思い違いとか思い上がりとか、お客様に自分を出すのが生き方で、自分のメリットばかりのブログじゃないかと思い出す。
続けるとたくさんの内面の葛藤に気づく。そう、単に家でニートしてるならもんもんとしてひっくり返って、ゲームして漫画読んで、
家をネットカフェ状態にし、人生の目的も見出そうとせず、恋愛や結婚などのイベントのチャンスすら来ても気づかない人で終わった
はずだ。
2007年に新聞配達でぼろぼろになり、俺はボーフラになった。人材派遣も週2日行っていた。そこは俺を悪者にし、来れない様にした。
ふらふら状態で俺は必死で近所の本屋に行った。お金持ちになるぞとそんな気持ちは捨てなかった。
お金持ちになるための本で、お金持ちの第一の習慣がトイレ掃除とある。この習慣はかなりきつい。うんこを手で流す。
流せたら人生が変わった。毎日、便器をぴかぴかにしているが、まだ一瞬のためらいがあるが、素手で流せる。あの価値観の変化を
追体験する。
精神が変わり、きれいにすることに関心がいくようになり、トイレから台所、風呂場と掃除が戦略的になっていった^^¥
それからそれを応援するかのように介護業者の援助で部屋の掃除と整理整頓はこなれていく。
対人関係もリハビリの施設のトラブルに巻き込まれ、同時に自分の住むアパートの騒音問題と直面し、
父と対話する機会が増え、「性的な問題をクリアーできれば社長になれる^^:」と断言した。
その種の騒音はネットで調べる限り一部の人は体験している。大家に相談するとか・・・
はっきり言おう。外人さんの場合と一部のセックス依存症のカップルは文句に耳を傾けない。(体験より)
無駄であり、その場合は恐らく、自分の内面の隠された願望が引き寄せたと認めたほうがいい。
もうその種の問題が自然現象だと受け入れたので頭痛を抱えつつも俺はブログを書いている。
ネタにするようになった。
どこに住むにしても完全防音なんて無理だろう。
我慢するのではなく、何を感じ、学び、教訓を得るという味方にするとストレスが減る。0にはならない。
他人の欲望に直面すると自分の欲望を炙り出される。そして、これは自分の将来にも起こり得ると感じる。
また、性に関して否定的なこと親や社会や知人から暗示的であれ明示的であれ刷り込まれたことも感じる。
自分は何がしたいか?
自分は何者か?
何を自己表現して生きたいか?
この3つの質問の答えをくりえいしょんできるなら、上のような悩みすらかすんでくる。
本来の自分になる。 =>これが人生の目的だ。
また、自分はお金持ちになりたいが、お金に関しても世間の偏見に囚われている。
お金持ちが汚いとか。 でも、きれいにエレガントに儲けたお金持ちも世の中には存在する。
自分で宣言し、その宣言に物事を引き寄せ、
私は私になる。
私は幸せなお金持ちです。
私は幸せな事業者です。
私は_________
自分の人生を自分で創造したい。