★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年1月25日火曜日

出会う人はあなたが引き寄せた人である

 ブロガーになり、自分と向き合うことが日常の核なので、いろんな体験をその日のうちに回想し、

理由を思い出すことが多い。確かに気になる人には会えているし、会うのに条件を付けた人には、

その代りに雰囲気の似た人と何故か近所で出会い、その人から受けるビジョンに感じるように自分を

意識する。会えないでいる人の状態がセンスできる。

=> 「第十の予言」という冒険小説の主人公の体験とかなり近いと感じた^^¥

寓話としてジェームス・レッドフィールドは書いたと前書きに書いている。

確かに場面設定に内容がSF染みているから、真実と感じるものに面白みとか迫力を加える創作の要素を持っている印象を久しぶりに読み返して感じた。

私が特定の本や作家を取り上げるのはめったに無い。それは基本的に体のセンサーとインスピレーションで感じて生きているので(自分の中の源(ソース)と繋がる実感が増しつつある)、

何らかの形でインスピレーションを得て、ここに来る方も特定の本や個人に依存しない方と感じる。

今、生きていて、出会う人は輝いて見えるなら、自分から話す方がいい。必要な情報をあなたに無自覚で運んでいるかもしれない。質問するか、話す無いなら、スルーする^^:

人は生きた本。俺は自分をインフォブリンガーと称した。それは簡単に言うと誰でも生きた本であると言いたかったのだ。どんな間抜けに見えるおっさんでも、何かの真実を知っているのは衝撃的な事実だ。 確かに胡散臭く見えたり、とぼけて、生きて見えるだろう。 立場が弱者でもしたたかに
生きて、必要な生きる知恵を見せているかもしれない。

もう、医師だけに頼り、役所の援助に支えられても、真実の感性は自分の中にあることを思い出そう。援助にいい悪いがあるように感じるが、必要でいじめてきな援助が来ることがある。自分が深いところで望む場合に。相手は自分の望むドラマを応じて演じているだけで、後で 「???」に
なっているのだ。

コントロールドラマ。

必要があって演じる苦しみのドラマ。ひとり劇ではない。ある人との間で繰り返し演じたドラマを、

今、一番気になる人との間で演じているはずである。それが対人関係でうまくいかない理由だ。

このコントロールドラマを意識する上で、

私は、

「聖なる予言」 => 基礎的な見方の教えを読みながら自分に発見するツール

「第十の予言」 => 上の本で行き詰った状態を打破し、更に自己洞察と世界洞察を叶える本

と感じた。

人が生きた本なら、生きた本である人が書いた 本は 何だろう?

生きているうちに、インスピレーションで解き明かされると信じる。