★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年1月3日火曜日

ブログかきの心情

あたまわるいって

いいわけして

しごとしてもまわりのひとの心象わるい

あるすーぱーで わかいにいちゃん いいわけらぷそでぃー


かいものしてた おいら ぶっとんだ

あたまわるいって、えんじんがふちょうなくるまをじまんするとおなじ

そんなくるまほしくない

しんしゃでそーなら ぜったいにその社名をおぼえないだろう


おもいだすなら 心象悪いから


がんばってもできない

あるよ たしかにある

でも・・・

めのまえのことして できることして がんばっても 何も変化しないと・・・

いや、どっか景色が違う感じしない?

恐らく、30年以内に自分の生活に変化がくるでしょう^^\

すぐにとか、即応的にとか・・・

人も世界もPCではない。

また、すぐに何とかする事態が大抵は人為的なことだけであり、自然は自然の反応しかしない。

最近感じたんです。

自動車協奏曲=> 自動車競走曲 => 自動狂騒曲 (妄想かな? まあ、いいか^^:))

人が主体でも自然が主体でもない。

この世界は誰かの主体が主体で、俺たちはそのダンスに巻き込まれた。

下手な練習不足のダンスにガリ勉君でもベクトル間違いの野郎のダンス。

盆踊りにチークダンス?

それは幾らガリ勉でも違うでしょ?

得意でも場違いでしょ?

そんな連中を20代の時に見て過ごしました。

今も勘違いの彼ららしいダンスを踊ってます。

俺は感じてみましたが、よくできたお人形のダンスなんて何も感じないと感じました^^;

練習と本番は違います。

ブログなんて書いてUPだから仕込んだものをほぼ100%その場で上げます。

練習が大学ノートでのらくがきであり、ブログは本番なんです。慣れると場慣れか緊張感が無い・・・

こうやって、名作(迷作?)が生まれ、誰かのハートに刺激になるのです。(多分。プロセス的に))

打ち上げて見て、成功か失敗か? ロケットの打ち上げ的な感触をブログを上げるときに持ちます。

アクセスが0でも、打ち上げた記事が誰かの目に止まり、相手のフィルターで感じて刺激になるなら、

俺かれ見て勘違いも、相手的にOKなのです^^:

その温度差すら感じても笑っていられるなら俺は自分が進歩したとか感じます。

たくさんの人がいます。 大まかに同じでも出方が違う。

毎日、その感じを感じ、不眠もOKかと感じ・・・

淡々と俺はブログダンスを自分流に踊ります。

そんだけなんだよ。

おれてきにすごくない。 でも、見てる人はすごいと感じるのだ。

この温度差。

もう計測しない。面倒くさいから。