★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2011年9月4日日曜日

自分の命の価値

 自分は運がいいと感じる。

昔から人災や災害に逢うが被害を受けても心がきずきずになっても、しぶとく生き残る。

中学生時代のクラスメイトは、「雅さんは生命力が強い。ゴキブリ並みだ。」(怒り、失礼なっ!!!)

と言われていた。

あきらめないとかやり抜くは部活や受験戦争で身に付けたことかと感じたが、

小さなころから何かに打ち込み、満足するまでやめないことは、母も不思議そうに見ていた。

母曰く、「あなたはずっと何かを淡々とやって、満足して、次に行く人ね^^:」

俺を育て、たまにその回想を母は語る。

相変わらず、俺は淡々系の仕事を選んでいる。


自分の命の価値。何かを成し遂げるから価値があるのか。否。

違う。全然違う。

この世界に生まれ出たことが価値保障を意味する。


価値が無いならこの地球に存在しない。また、自分で親を選択して生まれることも選んだとしたら、


生まれる前に選択するだけの力を有した魂であったこと、輪廻転生する前に、天国学校で復習と予習をし、


自分で選んだコースとして、今の命を使い、母親の産道から生まれたはずだ。


災害を被災し、もしくは重要な仕事の責任を上司に押し付けられて、自殺したい思いの人が出ているだろう。


自殺する前に考えて欲しい。今苦しくても、対処できないか?乗り越えて、この苦しみを浄化し、もうひとつ前へ進めないか?


どんな人が苦しむのを見ても、私は共感が鋭いので苦しむ。


近所の外人の子供の苦痛すら無視できない。だから、その記憶を削除し、今に戻す。


災害は人災であればいいが、人工的なにおいがする。


でもそれは俺の憶測だ。


今を生きて、今の命を使い、選択し、度段場でも踏ん張る勇気とその酷い状態での幸を自己選択の機会とみなし、


乗り越えてください。