★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年4月6日金曜日

格闘と許しの相似形

何かの自分の弱さを自分に許すのは格闘と似ている。

自己受容とはありのままの駄目な逃げ腰な自分を許し、体調の変動をそのままにすることだから。

起業家は進んでいっても進んでいないと感じる瞬間がある。

ゲームを創り、晒し、宣伝し、売る。

何かのインスピレーションでサラリーマンでは考え付かないことを試す。

単にゲームして遊んで時間を過ごしているだけかと悩むことが多い。

幾らでもさぼれるし、幾らでも仕事に時間を使える。

建設的かどうかとか生産性があるかとか、不安が起きる。

毎日が自問自答の生活。それ以外にも生活の必要をこなし、経済活動(つーか、買い物)

をして、命を削るような感じの買い物も有る。

設備投資とか先行的な自己への投資とか、気になるゲームを買うときは自分のインスピレーションで

買うが(格安のときが多いが、起動しないときが有る))

クリーニングは毎度、感情とか身体の変容が起きるので、毎回、気分のあの不快を通過しないといけない。

苦しいが変容スピードがアップしているので、以前にこと思うとターボブーストと、ある習慣は、

インナーチャイルドが勝手にクリーニングしてくれるので二人がかりのクリーニングとなる。



格闘ゲームというなら自分ともう一人の自分でチームを組んで、今悩ませる記憶を削除し、

それも多いなら連続コンボをかますような削除を一気に行う。

これに似ている。↑

クリーニングはどこか修行に似ている。自己収容でなく、自分の発する波動で、

苦しみの記憶を削除するキーを入力する。

大技もそのうち、気づきで閃く。

そんなゲームにホ・オポノポノが変容している。

有難いね。