働かざるものくうべからず。
キリスト教で知り、ちまたに流れている格言です。
実際は、働いても自分の生活水準を維持するのが一杯で、自分のしたいことを追及できない不幸がある。
そう感じています。
たくさんの情報はいろんな考えを本の形でもたらし、思考のエッセンスとなるとされています。
ベース思考、そなわり親からの教えや人格形成上に自ら織り込んだ思考は、固定観念(コンプレックス)となります。
幾ら本を読んでも学べないのは、自分の観念の森が抵抗し、観念自体が自分を保護しようとするのです。
人は小さなときに親をモデルに人を学習し、成長します。
または親戚の叔父さん叔母さんから学び、生きる指針になっています。
よくあるのは、
生きるのは苦しい
生活するのは苦しい
自分らしさなんて追及はむずかしい
です。
お金儲けなんてできないとか
所詮は人の言いなりなるしかないとか
何十もの固定観念を開放するのは時間がかかります。
ですが、苦しみの原因がこの固定観念を維持する記憶だとしたら?
愛しています
可能でしょう^^: