午後三時前。
癒しに疲れた俺が、こうして話を書いている・・・
セラピーを自分に使っても取れない憎しみと悲しみ・・・
極限状態での肉体労働は覚醒に役立つとある本で読み、試してきた・・・
正直、疲れたし、悶絶な苦痛で自分を刺した感触だ。 ぼーっと感じ直し、雲を眺め、
「俺は自分で自分をいじめているな・・・」 と 気づいた。
うつ状態でも動かないといけないことがあまりにも多かった。その反動もあるし、ある覚醒に関する本の情報がえぐくて、その本の教えにはまり、自分に鞭打ち、苦痛のまま家事をする俺がいた。
内面で浮かぶのは・・・ 苦痛を感じながらも家事に没頭する母親のイメージだった・・・
父は自営業で毎日、忙しかった。 母は、会社の事務をやり、家事をやり、子育てしていた・・・
そんな中で彼らの極限状態を見て、「これが人生か」と苦痛を感じ、信じようとした。一種の宗教になった・・・
人はある時期は自分の限界を超えた苦痛を感じ、それが習慣になっていく。必ず、苦痛な人生のベースモデルがいる。 私は最近、それを感じた。じっくりと味わい、今は休み、力を貯めていく・・・
目に見えない原因があった。それが苦痛を生み出す。 人の身体は過去を覚えている。したいことを始めるときに、この現象が体に出た。それを感じながらも書くのが、
俺の極限ドライブ。 楽しむために苦痛を通過し、今はただ、生きることに味わいを感じている・・・