別にあるアーチストの作品名をぱくるつもりはない。
引越しが決まった。数年、隣人の精神的な狂いの騒音に耐えてきた。
2年半以上も。クリーニングをしたり、穏やかな音楽をCDでかけて、後は俺は散歩とか、
音楽療法まがいのことをした。音響設備も若干強化して・・・
その後、ホ・オポノポノライフと言うKR女史の書いた本を中古の本屋で見つけ、
ことこまかにクリーニングしてやっと、さまざまな問題をクリアできると見出した。
つまり、土地とアパートの記憶再生であり、住む人に出ると言う。
それを知り、自分の持つPCやさまざま物に「ありがとう」とか「愛しています」とかしだした。
部屋にも。
ヒューレン博士もものと対話すると言う。ものの話を聞くと言う。
俺もブログを始める前の年。ずっとPCの修理をしていた。自分で解体して戻す。ノートPCを。
ミスで昔から持っていた2台の2001年から2003年に買ったノートPCの基盤にかけた薬品をミスり、
動かなくなった。 まだ残してはある。幸い、2007年に買ったマシンはマニアの援助(元IT関係者)
で数週間放っておいて乾かし、その後動いた。そのときに俺はごめんねとか言いながら、
そのPCをまめに磨いていた。
決意の朝にって何で書いたのだろう。
今の部屋にはもう会社として機能している部屋がある。
SOHOであり、これから儲かる仕組みを構築しようとしていた矢先、アパートを年内に取り壊すと、
大家とその息子(跡継ぎになるのだろう。地元の大きな会社に勤めているが)
それから結構有名な不動産関係の営業さんが承諾書を持ってきた。
来たときは俺は機嫌が悪かった。プログラムを再びやり始め、動くのだが何となく怒りが出ていた。
このお三方が来た時も怒ってはいた。でも俺は習慣どおりドアを開ける前と話の最中に心の中で
「愛しています」
と言っていた。
そうしたら、心中の想いを淡々と語れたし、リハビリ中であり、生活保護だと恥ずかしい話をできた。
そうしたら、この営業さんはこういった。
「生活保護の人はいい意味で助かるのです。収入が安定している。あっちの大家に紹介しやすいです。」
俺は意外な答え(まあ、安定しているわな。でも体をぶっ潰してから入ったし、今でも仕事はしてる)
「このアパートの老朽化(俺は元建築修理のプロだから疑念を感じが・・・)、東海大地震に耐えれないんですよ。建て替えが入ります。それで是非とも引っ越して欲しい。」
ふっと、以前、隣の騒音のことで役場に電話で鳴きついた時期、警察に電話したことがよぎる。
耐えた結果、この話を聞いている。
「引越し費用はうちで持ちます。承諾書だけ書いてもらえませんか」
俺は書類を貰い、感情の整理で一週間欲しいと言った。
その後、父に話した。
次の朝、この日のほうが父は機嫌がよかった。
ひとしきり近況と感情を出すとすっきりした。
すぐに移動をしようと承諾書を取り出すと署名と捺印をした。
何を考えたか、近所の大家へ朝早く(6時半だ)いこうとした。
たまたま、大家さんの息子の嫁さんが外で洗濯物を干していた。
もちろん、俺とは顔見知り。呼び止められた。
書類を見せる。
「来週にあの会社の営業さんと一緒にお父さんが行きますよ」 もちろん、知っている。
インスピレーションどおりに動いただけだ。
その晩、お三方が来た。夜8時半に俺はおじいさんよろしく寝てしまう。朝方にPCでの作業のためだ。
俺は前回は8時半には寝るので6時半に来いと怒鳴っていた。
そのとおりに来た。
その前に俺は役場に午前中言って、担当に脱生活保護の計画を話した。引越しの話しついでに。
自作のゲームの無料版が23本(カウントできたものだけ、それ以降はカウントしていない)
出したこと、生活保護脱出の話をブログで書いてきたことを伝えた。
何回も担当が替わったが、今回の担当はケースワーカーでも物分りのいい感じで若干遊んでくれる
人。俺は面白いやつだと感じていたが、笑いながら俺の脱生活保護の話を聞いてくれた。
「今度の新作を5800円で売ります」
担当は、「収入が入ったら報告してください」
俺は「勿論です」
こうして、俺個人と生活保護担当のコンビで脱生活保護計画がスタートした。
父にも話した。「俺はあのおじいさんが死んだときにおじいさんの前で宣言したとおり、たくさんチャレンジして、年内に生活保護からでるよ。担当にもかなり細かい話をしたよ」
父は笑いながら「それでいいんじゃないですか^^」 どっかの若い社長さんか若旦那に言うように
言った。その後。弟にも話、テストプレイヤーを先回と同じように少しの時間だけして欲しいと。
お前の助言で良くなったからと。 弟は感動したのかしばし無言だった・・・
決意の朝だ。
俺はあらゆる方法で自分の知恵と才能と人脈を使い、この生活保護制度から出る。
目標年内。
方法: ホ・オポノポノし、自然の流れに乗る形。
これが俺の決意の朝です。
引越しが決まった。数年、隣人の精神的な狂いの騒音に耐えてきた。
2年半以上も。クリーニングをしたり、穏やかな音楽をCDでかけて、後は俺は散歩とか、
音楽療法まがいのことをした。音響設備も若干強化して・・・
その後、ホ・オポノポノライフと言うKR女史の書いた本を中古の本屋で見つけ、
ことこまかにクリーニングしてやっと、さまざまな問題をクリアできると見出した。
つまり、土地とアパートの記憶再生であり、住む人に出ると言う。
それを知り、自分の持つPCやさまざま物に「ありがとう」とか「愛しています」とかしだした。
部屋にも。
ヒューレン博士もものと対話すると言う。ものの話を聞くと言う。
俺もブログを始める前の年。ずっとPCの修理をしていた。自分で解体して戻す。ノートPCを。
ミスで昔から持っていた2台の2001年から2003年に買ったノートPCの基盤にかけた薬品をミスり、
動かなくなった。 まだ残してはある。幸い、2007年に買ったマシンはマニアの援助(元IT関係者)
で数週間放っておいて乾かし、その後動いた。そのときに俺はごめんねとか言いながら、
そのPCをまめに磨いていた。
決意の朝にって何で書いたのだろう。
今の部屋にはもう会社として機能している部屋がある。
SOHOであり、これから儲かる仕組みを構築しようとしていた矢先、アパートを年内に取り壊すと、
大家とその息子(跡継ぎになるのだろう。地元の大きな会社に勤めているが)
それから結構有名な不動産関係の営業さんが承諾書を持ってきた。
来たときは俺は機嫌が悪かった。プログラムを再びやり始め、動くのだが何となく怒りが出ていた。
このお三方が来た時も怒ってはいた。でも俺は習慣どおりドアを開ける前と話の最中に心の中で
「愛しています」
と言っていた。
そうしたら、心中の想いを淡々と語れたし、リハビリ中であり、生活保護だと恥ずかしい話をできた。
そうしたら、この営業さんはこういった。
「生活保護の人はいい意味で助かるのです。収入が安定している。あっちの大家に紹介しやすいです。」
俺は意外な答え(まあ、安定しているわな。でも体をぶっ潰してから入ったし、今でも仕事はしてる)
「このアパートの老朽化(俺は元建築修理のプロだから疑念を感じが・・・)、東海大地震に耐えれないんですよ。建て替えが入ります。それで是非とも引っ越して欲しい。」
ふっと、以前、隣の騒音のことで役場に電話で鳴きついた時期、警察に電話したことがよぎる。
耐えた結果、この話を聞いている。
「引越し費用はうちで持ちます。承諾書だけ書いてもらえませんか」
俺は書類を貰い、感情の整理で一週間欲しいと言った。
その後、父に話した。
次の朝、この日のほうが父は機嫌がよかった。
ひとしきり近況と感情を出すとすっきりした。
すぐに移動をしようと承諾書を取り出すと署名と捺印をした。
何を考えたか、近所の大家へ朝早く(6時半だ)いこうとした。
たまたま、大家さんの息子の嫁さんが外で洗濯物を干していた。
もちろん、俺とは顔見知り。呼び止められた。
書類を見せる。
「来週にあの会社の営業さんと一緒にお父さんが行きますよ」 もちろん、知っている。
インスピレーションどおりに動いただけだ。
その晩、お三方が来た。夜8時半に俺はおじいさんよろしく寝てしまう。朝方にPCでの作業のためだ。
俺は前回は8時半には寝るので6時半に来いと怒鳴っていた。
そのとおりに来た。
その前に俺は役場に午前中言って、担当に脱生活保護の計画を話した。引越しの話しついでに。
自作のゲームの無料版が23本(カウントできたものだけ、それ以降はカウントしていない)
出したこと、生活保護脱出の話をブログで書いてきたことを伝えた。
何回も担当が替わったが、今回の担当はケースワーカーでも物分りのいい感じで若干遊んでくれる
人。俺は面白いやつだと感じていたが、笑いながら俺の脱生活保護の話を聞いてくれた。
「今度の新作を5800円で売ります」
担当は、「収入が入ったら報告してください」
俺は「勿論です」
こうして、俺個人と生活保護担当のコンビで脱生活保護計画がスタートした。
父にも話した。「俺はあのおじいさんが死んだときにおじいさんの前で宣言したとおり、たくさんチャレンジして、年内に生活保護からでるよ。担当にもかなり細かい話をしたよ」
父は笑いながら「それでいいんじゃないですか^^」 どっかの若い社長さんか若旦那に言うように
言った。その後。弟にも話、テストプレイヤーを先回と同じように少しの時間だけして欲しいと。
お前の助言で良くなったからと。 弟は感動したのかしばし無言だった・・・
決意の朝だ。
俺はあらゆる方法で自分の知恵と才能と人脈を使い、この生活保護制度から出る。
目標年内。
方法: ホ・オポノポノし、自然の流れに乗る形。
これが俺の決意の朝です。