★きらら 自分から出る声を聴こう ★

2012年1月3日火曜日

2012年の怖い話

潜在意識的なコラボレーション 


 2009年以後、ブログを書いていて、ものすごい勢いに乗った感じがあった。

その後も、何度も抵抗勢力を感じたし、俺も何度も挫けた。


 それに負けずに、極度の鬱でもやるとの気持ちで、アクセスが一番少ないプロバイダーでSFを書き始める

。それが極限ドライブだった・・・


 インスピレーションは自分の感情とは違う感触がある。事前の準備的な要素をやらせ、その後、メジャーなプロバイダーへと導く。


 段階を踏んでとか、真面目な教師が理想を語るようなガイダンスを俺にくれる。それに応じるかどうか?

俺の選択だといわんばかりに来る。感情的には怖い。でも、2009年以後の自分の生き生きした感情を

否定できない。 肯定した方が楽かと、書くことで自尊心のアップグレードを感じ、感じるままに書いた。


 その時の気分とか感情とか左右されないものがインスピレーション。勢いがあり、なおかつ素直に書くことで、

本来の自分に繋がる違和感。 ロボット人生よさようならと俺は連打連打した^^;


 連打するたびに自分の応答性が否応が無く上がる。上がりつづけた。夢中で打った。


 大きな勢力もこの見えない援軍には勝てないと確信した。打つたびに鬱になる。その後、感情は上がる

。 光と闇の対決が俺の中であるのかと感じた。最終的に光が闇の方法で勝利してしまう。


闇=病みであり、光は闇を味わい尽くした人々や援軍なのだ。それを逆手に取った。


 俺はその戦いとの一体感に酔いしれた。 だが、今度は近所の病人に意識がいく。副作用か?

その後、その副作用も闇の住人の特性を理解する助けになった。何度も自滅を図るルーチンワーク。

でも、死ねないパラドックス。 生命力が強いのに自滅行為はうまく行かない。


 ちゃんと生産しないと(清算)死ぬ権利すら選択できないらしい。宇宙は綿密にバランス計算だけする

。人の感情的な反応と世界との釣り合いを取る。だから悪人もその存在を許すのは単にバランスのため。


 人のような立場も感情もない。コンピューターなので、人の死の痛み感じないし、関係が無い。


 その人から見て悪人を一定時期までキープすると、開放する。まるでプログラム扱いだ。

 その悪人の格納したメモリーが他のことに使うことを決めると、病気なら悪化する方に放置する。


 書いていて非人間的だとは感じるが、インスピレーションに俺の感情の配慮は無い。0か1。


 逆に治る方がいいとの計算が住むと俺のような人を回復のための気づきのを与える。

 そこで常駐せよ。浄化活動をあんたの立場でやれと指示ではないガイドが来る。

 選択。やるかどうかは気分で選択せよ。大きな調整は宇宙に任せろと。

 だから俺は気分の良くなる選択として、こういう気づきの文章をかき、皆に提出する。


 信じる信じではないが、慎重に読んで感じてほしい。

 この仕事の後に俺は感情的な深い癒しが起き、自己との関係が改善される。

 人により才能は違う。

 感触で感じ、その感触的な体感を感じてください。